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冤罪とマスコミの関係、

    どうもこんにちは、



  多少秋っぽくなりましたが、手作り風メロンパンみたいな感じで、どうも本当は違うのではないかという、そんな気がしてしまいます、



  さてと、それで最近は何かありましたかね、、といってもどうせ検察審査会のネタしかないので、それについて書いてみると、


  検察審査会については色々話が出ているようだけど、一説では小沢氏のことを審議した審査会は存在していなかったのではないかとか、そんな話も出ているようです、



  ついに日本の司法はオカルトの世界へと入っているようですが、

  ともかく、この検察審査会というものは前提として、検察審査協会というのがあって、


  検察審査協会というものはアメリカが、日本に大陪審制度を入れようとして作ったものらしく、実は検察審査会が出来る以前から、検察の行為について審査をしてはいたらしい、


  ただ法的拘束があったわけではないので、審査をしていただけらしいけど、

  それが検察審査協会が、じつは裁判所と関係がないことがばれて、

  それによって補助金がなくなり、どうも検察審査会が出来たのは、そういう内部事情もあるようです、



  で、検察審査会は今は最高裁判所の一機関になっているようなので、これで裁判所と無関係というのがなくなって、もしかすると今は補助金が出ているのかもしれませんが、



  そういう裏の色々な事情があって、それが表面的に出ているのが、小沢氏の二回目の審査で、

  そういう裏の利害から発生した審査会について、適切な審査が行っていたのかという疑惑があるようです、


  まず議事録がないらしいんですよね、検察審査会の法律上、議事録みたいなものは作らないといけないはずだけど、なぜかないといわれている、


  あるのに隠しているのかもしれませんが、他ではこれは有名な話ですが、審査員の年齢の疑惑というのがあります、


  検察審査会の平均年齢は、一回目が34.27歳くらいだったかな、

  それで二回目が30.9歳くらいになって、それが二回目の年が低すぎることと、一回目とも近すぎるので不正があったのではないかといわれていましたが、


  検察審査側が訂正して、37歳の人を計算し忘れていて、その人を足すと平均が33.9歳になるとか言い出し、

  さらに、その年齢は審査会の始まった時期のもので、終わった時期のものは35歳くらいになると言い出した、


  しかし、まずその最初のほうの37歳を忘れていたというので、その37歳を入れて計算しなおすと平均年齢は34.27歳になるので、一回目と小数点二桁目まで同じになる、

  つまり33.9歳ではないようです、



  また、最後に35歳くらいになるというのもどうもおかしくて、そうなるなためには7人がその審査中に歳を取らないといけないので、非現実的だといわれています、



  この問題については見たところ二つの論が成り立って、

  一つが審査会がなかったという話で、審査会がなかったから歳があれこれ動いているのではないかという説と、

  もう一つが審査会にメンバーが一回目と二回目が同じだったのではないか、そういう話もあるようです、


  私も一回目と二回目のメンバーが同じなんじゃないかと、疑っていたのですが、

  どうも結果的に見ると、一回目と二回目が同じ人物である可能性は高いように思います、


  私が前回、審査会の一回目の情報である、平均年齢が30,9歳であるというのが正しくて、その後のは間違いではないかといったのは、


  何でそう思ったかというと、人間というものは嘘をつくとき、最初のほうの嘘というのは真実を含んでいることが多いので、私はその最初の30.9歳のほうは事実をついているのではないか、そう思ったんですけど、


  それが結果的に見ると、その37歳を足すと一回目と同じ歳になるというのが、偶然には見えないので、

  多分同じメンバーでやったので、それがばれないように一人はずして計算し、それが苦情があったのでその人を戻した上で、計算を捻じ曲げて、

  で、当初の問題であった、歳が低すぎるという問題を回避するために、勝手に歳を取らせたのではないかと思える、



  今回のことは、普通数ヶ月やる審査を、一週間しかしておらず、

  また一週間ですから、事件の内容を審査員が知ることは出来ないので、当然審査員もそのままでは判断をしないはず、


  そこで可能性があるのが、審査員がいなかったというのと、一回目と同じメンバーだった、のどっちかしかないわけで、ここまで短時間でやるにはどっちかでないとうまく行かない、


  審査会にいた弁護士や検察が強引にやったという可能性もありますが、そうなると歳の不自然さが説明つかないので、現状で見る限りでは、一回目と二回目のメンバーが全く同じであったか、

  二回目は誰もいない状態で、形式的に審査会を開いたかのどっちかとしか見れない、

  議事録がないというのも怪しいし、審査会のメンバーの公開も、他の審査会ならばある程度は情報が出るのに、今回は全部ブラックボックスになっている、


  それに国民には何の情報も出さないくせに、読売新聞には内情を書かせていたから、何らかの意図があって情報を制限していると考えると、何か裏があるはずである、、


  この話、どうも仙谷のクズのにおいがするな、情報の出方が荒いというか、暴力的解決を手広くやるのは、あの馬鹿の特徴だから、やはりあいつが犯人かな、


  まあともかく、今回の検察審査会の件については、ありとあらゆるところに不正のにおいがするので、これは審査会もろとも叩き潰したほうが、賢明であると思います、



  次に、なんだか長くなって申し訳ないのですけど、もうちょっと検察審査会について書いてみようと思います、

  今回の検察審査会の流れというのは、アメリカの大陪審であったことをまねているのではないか、と私は昔書きましたが、


  多分今回のモデルはKKKの話を使っているのではないかと思います、


  KKKというのはクークラックスクランという組織の省略名で、いわゆる白人至上主義者の集まりのことなのですが、


  昔のアメリカの大陪審では、アメリカの大陪審制度では起訴を無効にすることも出来るので、KKKの起訴に対して白人が審査員になって、どうも起訴をとめていたことがあったらしいですね、


  ちょっと前に見た話なのであいまいなところもあるのですけど、確かそういうことだったと思います、

  白人至上主義者だから、白人の審査員ならば起訴をしないという結論を出す、そうやってkkkを守っていたらしいけど、


  ただそれが問題になって、最近は審査員の人種をバランスをとって、特定の人種に偏らないようにする措置をとっているらしい、

  
  どうも今回のことはそれと似ているような気がするんですね、つまり特定の人が偏って入っているのではないか、どうもそう見えています、


  今回の小沢氏のことは特在会という、在日排斥主義者が動いているし、その点はKKKと良く似ている、

  そして昔あったKKKと大陪審の癒着を現代によみがえらせて、ばれるまで好きかってやろうというのが仙谷やアメリカの狙いではないか、


  今の日本はアメリカで起きたことの負の要素を再現されて、それによって国がおかしくなっているところがある、

  新自由主義もそうだし、今回の検察審査会の話も同じで、ともに負の要素が非常に強いものを取り入れて、その副作用で悪事をしようとしているところがある、


  だから今回のようなものの場合、制度としてあるべきは日本の場合人種というのはあまりないので、審査員に対して思想的な方向性の調査、そして公開がいると思う、

  例えば特定の政治団体に属している場合とかは、その思想によって判断が変わるわけじゃないですか、だからそういうことは調べて公開しなければならない、


  特に今回の場合、告訴したのが右翼団体であるし、審査員もその団体のメンバーである可能性が高いのだから、やはり審査員の調査と公開がなければこの制度は成立しないと思う、


  一般市民といいますけど、一般市民だって色々いるわけですから、タチの悪いやつや犯罪まがいの連中もいる、

  それを考えると市民だから正しいという論は間違いで、市民であるからこそ疑るべきではないかという結論になる、


  つまり検察審査会というものは、市民だからだ正しいというのではなく、その市民の疑いを晴らさないと成立しない制度であって、この制度そのものが根本的に間違っているものだといえる、


  選挙の場合の市民の論は、混ざり合うので均一化するけど、こういう少数の場合は特定の団体の人が来る場合もあるわけで、これを市民の声というのは無理がある、


  その無理をなぜ仙谷のクズが通したのかは考えなければならないが、ともかく検察審査会は審査員としてくる市民の調査そして公開をしない限り、制度破綻しているので原則廃止したほうがいいのではないかと思います、



  後は、長くなりそうなのでちょっとだけ書いてみると、沖縄の知事選ですがどうも変な動きがあるようです、

  何でも沖縄の知事選に民主党の喜納氏が出るとかいっていますね、

  これは下地氏がやりそうだといわれていた、基地反対派の票割り作戦のようだけど、そう来ますか、    


  沖縄の知事選は、実は基地建設の支持派の現職知事と、反対派の市長から立候補した人物との一騎打ちになっているけど、


  今は反対の流れが強いので、その反対派の候補が有利になりやすく、これでは基地建設が出来ないのではないかということで、反対派の票割のために誰かを出すではないかといわれていましたが、



  そのあたりを下地氏が画策し、それを受けて喜納氏が動いたようだ、

  元々この二人は賛成派のようなところがあって、下地氏は移転の建設利権のイニシアチブを狙っていたように見えたし、

  嘉納氏は菅氏との対談の本を胡散臭く出していたから、この人物も怪しいところがある、



  また、沖縄の民主党の支部では、参議院選挙で負けた直後、確か嘉納氏も含め県外移転は非現実的だからやめようという、話し合いをしていたはずが、

  その後マスコミと一緒に民主党を叩けるというので、急に反対に寝返ったところがあるので、



  嘉納氏自身も実は賛成派である可能性はあると思う、それが下地氏と組んで建設賛成の現職知事のために、反対派の票割りに動いたというところだろうか、


  私の読みはそんなところだけど、まあ間違っている可能性もあるんですが、このタイミングでというのはおかしいですから、彼らが何かを狙っていてもおかしくはない、


  大体からして尖閣諸島問題も、結局はこの沖縄の普天間建設を狙って、11月の知事選に合わせて尖閣諸島に大規模な日米の軍事行動をするために、はじめたものですから、


  この二人の動きと、最近の前原氏の発言、そしてそれに呼応するような日中の反対活動を見るに、下地嘉納の両氏もアメリカの手ごまである可能性を考えたほうがいい、


  沖縄はアメリカと関係が深いので、アメリカ政府のエージェントみたいな人がたくさんいる、沖縄の権力者の殆どはそういう人かもしれないので、沖縄の情報に関しては気をつけてみたほうがいいと思います、

  アメリカが日中戦争を起こそうとするのならば、そのあたりの人員を使うでしょうから、




  さて、それはいいとして今日は、冤罪とマスコミの関係、ということでも書いてみようかと、

  なんとなく前書いたものと似ていますけど、冤罪というものは検察が事件をでっち上げて、ばれると面倒なので人のせいにして、しらばっくれることですけど、


  その冤罪というものとマスコミというものは、深い関係があるのではないかと思ったので書いてみると、



  それで冤罪とマスコミの関係ということで、冤罪を生むものは何であるか?、そう考えてみると見えてくるのが、検察官が馬鹿しかないないからではないかというのもあるが、一般的にいえばマスコミの問題というものが大きい、



  何を持って罪となすか、司法であれば本来法に反するということが罪であり、罪の基準は法だけにあり、法の基準以外は罪にはならないはずである、



  しかし現実的には、人間は法よりも道徳観、もしくはステレオタイプ的な思い込みから善悪を判断し、法によってものの良し悪しを決めると考えない、



  人間は所詮動物ですから、感情を第一とし、理性を第二とするもので、理性的な法よりは感情的な考えを重要視し、

  社会的な問題や、罪の問題に関しても感情的な論で考え、理性的に考えるということをしない、



  このあたりが日本で司法制度が成立していない理由なのだけど、法は感情ではなく理性的なもので、冷静に見れば問題がどう見えるかというのが法であり、


  そしてそういう形で問題を裁くからこそ、問題の解決が出来るのであって、それを感情的に煽れば問題の解決は出来ない、



  ここに冤罪の問題がある、つまり冤罪の根本的問題とは、人間が理性的にものを考えるのではなく、感情的にものを考えることが大きく作用して、


  問題や罪に対して、感情的な結論を重要視するから、感情的にあおられるとそれを結論だと思ってしまい、状況判断を誤ることが冤罪の原因なのである、



  法治体制が万全であれば冤罪は発生しない、が、しかし日本で冤罪が非常に多いのは、法治体制の不備と法治体制の不備を過剰化するマスコミに大きな原因がある、


  法治体制というものは理性による問題の解決であり、感情による問題の解決を否定する、

  それに対しマスコミは、感情による解決、もしくは感情による結論を重視するものであるから、ある意味法治体制とは相反するものであって、司法のようなシステムからは第一に排除すべきものである、


  本来司法とは、理性による統制というものを狙うものだ、感情を押さえて冷静に物をみるために司法はある、

  それが日本の場合、感情的にあおることが司法であるとなっていて、そして本来司法と相反すべきマスコミと癒着し、日本の司法制度は完全に崩れていると見ていいだろう、



  日本でなぜ冤罪が生まれるのか、冤罪というものは間違いで生まれるものもあるだろう、しかし日本における冤罪の殆どは意図的なものであって、

  偶発的なものではなく、マスコミと検察が手を組んで人為的に生み出しているものである、


  だから日本の冤罪の場合はかなり特殊で、ある意味日本の司法制度は冤罪を容認し、場合によっては冤罪を意図的に行っている制度であるといえる、


  冤罪のための司法制度といってもいいもので、日本の司法制度は冤罪を生むためにあるようなところがある、



  日本の司法は中世のままですから、法の裁きをするのではなく、見せしめで誰かを逮捕していれば治安が良くなる、という考えが基本にあるので、


  法を守るとか法が正しいというのはなくて、司法権力の圧力によって、治安が良くなるというのが基本スタンスなので、冤罪というものを否定していない、


  冤罪をしても圧力をかけれ治安がよくなればいいと考えているので、日本の場合普通に冤罪が生まれしまう、



  そしてそのためのシステムが、マスコミと検察の冤罪タッグマッチで、マスコミと検察が手に手をとって、哀れな子羊をスケープゴートとして利用し、それをマスコミがおいしくいただく、みたいな事を繰り返している、



  だがそれを繰り返していい時代ではもうないだろう、日本の司法制度は権力機構であって、その権力によって治安が守られるという考えが強い、


  だから彼らは基本的に法を守らない、法を守ったら治安が悪くなると彼らは考えているわけで、それを何とか変えないといけないのだけど、

  それをするためには、冤罪原因になっているマスコミを、司法から引き剥がす必要がある、



  本来司法とマスコミは相反するもののはず、それが協力関係を築いていることが、日本の冤罪の根本的原因であるといえる、


  この話は例えるならば、人柱司法はやめろということで、
 
  昔の王様とかは死ぬときに、人柱といって自分の墓に人を埋めて生贄にしていたらしいのだけど、


  時代とともにそれは暴力的だからやめようということになって、しなくなったわけで、

  それと同じように日本の司法も、いつまでも冤罪人柱を使って、司法制度を成立させようという考えはやめるべきである、


  近代は人を大事にする時代だ、人柱はいけない、江戸時代なら良かったのだろうが、そろそろ彼らの十手を取り上げる時期が来ているのではないかと思います、


  (う?む、今回も内容とタイトルがずれているようなきがします、免罪のメカニズムというほうが良かったかな?、)






私は無実です 検察と闘った厚労省官僚村木厚子の445日
今西憲之,週刊朝日取材班
朝日新聞出版

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