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大衆民主主義と個人民主主義、

    どうもこんにちは、



  今日は多少涼しいですね、まあ台風が来ているからですが、最近の台風は南から北上するのではなく、西から東へと進むようでずいぶん派手に横断しているようですけど、その分涼しくなるのはいいのですが、どっちにしろ異常気象であることは変わりないですね、



  さてと、最近は何かありましたかね、、汚い仙谷がキーキーいいながら、飛び交っているのはなんとなく見えたけど、こいつ駆除したらだめかね?、

  そうか、やっぱ猟銃はダメか、というわけでこの汚いゴミどもを何とか捕獲して、どこかに放り込むという手しかなさそうですけど、常識や良識のない連中をどうするかというのは、難しいですよね、



  私の見たところ、菅政権とは言いますけど、実態は仙谷政権であり、裏を見るとどうも司法政権のような意味があるようには感じます、

  仙谷のゴミはこいつは弁護士なので、弁護士会と仲がいいらしく、そういうところから多額の献金を受け取っているようで、

  献金=ワイロ、ですから、司法関係者が仙谷に金を渡している理由は、司法的な政治支配という考えはどうもあるように思います、



  これは小泉政権の頃からあるのだけど、奇妙な司法のバックアップがあって、小泉に対する人は大体逮捕されているから、司法が意図的な政治誘導を陰で行っていたというのはあると思う、

  ただその表向きの政治の蓋が外れて、向こうが直接見えるようになってきて、直接的な行動が増えるようになってきた、



  例えば小沢氏の秘書逮捕とか、検察審査会も明らかに民主党や小沢氏を狙い撃ちするためのものに見えるし、

  何より、今の仙谷政権自体が、弁護士会から多額の資金をもらっている人物が政治の中心におり、そして司法的正当性を強調している時点で、司法による政治クーデターの可能性は高いと思う、


  ただ司法は主体的に判断をするものではなく、権力は確かに政治よりも強いかもしれないが、主体的な判断をする能力はないわけで、いくら権力を握ったところで出来ることはない、

  となると、やはり官僚が権力復帰をするためにクーデターを仕掛けたと見るほうがいいと思う、



  感覚的には昔の1991年のソ連でのクーデターと良く似たものだと思う、

  あれはいきなりゴルバチョフ大統領を拘禁して、それをエリツィン大統領が止めて、ソ連化が止まった話ですが、それと良く似たものだと思う、


  あっちも官僚制が絶対であるという硬直した形を持って、国家体制が崩壊しましたから、今の日本で起きている仙谷政権も中身は同じでしょう、

  ただ軍事クーデターは出来ないので(自民党ならやっていただろうけど)、司法クーデターという形を持ったのだろう、


  まあ何の権力にしろ、国民の不利益になるものは潰すしかないので、この腐った仙谷政権は始末するしかないんじゃないかと思います、



  次に、代表戦のことでも書いて見ますか、

  代表戦はどうなるか分からないといわれていますが、私が見たところでもはっきりしないように思いますね、


  議員票だと、民社党グループの票がどうなるかといわれていますが、

  一方ではそれが菅氏に行くという意見もありますし、一方では小沢氏に行くという話もある、



  民社党グループは穏健的なところがあるから、菅氏につきたいというのもあるのだろうけど、

  ただ民社党グループの政策と、菅政権の政策は大きく隔たりがあり、また菅氏は民社党グループの解散をすべきではないかと発言していて、その恨みを持っているらしいので、この票がどっちへ行くかは流動的なようです、



  他でも、サポータ票がどうなるかというのも、これもはっきりしませんね、

  確かにマスコミの調査だと菅氏有利とはいうけど、マスコミのいうことはあまり信用できないので、どうなのかなと思ってしまいます、


  世論調査とかでも菅氏が有利だというけど、ネットの調査だと五分五分か小沢氏有利が多いから、それを考えると菅氏が有利ともいえない、

  ロイターのネット調査を見たのだけど、菅氏と小沢氏が1万票で五分五分でしたから、

  一万だったら不正は出来ないだろうし、少なくとも世論的な差はそれほどはないんじゃないかという気はします、


  まあただふたを開けてみないと分からない話ですが、今のところはどっち有利ともいえないような気はします、



  後は、ついでなのでもうちょっと代表戦について書いてみましょうか、
  
  最近気になったのは、菅政権の支持率が発足時並の支持率になったと聞いて、ああやっぱり世論調査はインチキなんだなと思いました、


  誰が見てもそうですけど、別に菅政権は何もしてませんからね、上がる理由はないでしょう、

  つまりは、現実的な起きている物事と無関係に支持率が存在するという、そういうことが分かったわけで、マスコミが支持率詐欺のようなことをしていたのがはっきりしたといえるでしょう、



  少なくとも政権発足時まで戻るは変じゃないですか?、これまで見たって、鳩山政権は支持率は殆ど上がらなかったし、それ以前も上がることは殆どなかった、

  それがこうも簡単に上がるのは異常でしょう、つまりマスコミは世論誘導や、政治介入のために世論調査の結果を操作し、不正をしていたということになる、



  そもそも今はデータベースとかありますから、無作為といいながら作為的に対象を絞って、特定の対象に絞って調査をするということは簡単に出来ますからそういう不正の手でも使っていたのでしょう、


  だから菅政権の支持を強く出し易い層に絞ったので、内閣支持率も引きずられて上がっているようで、

  マスコミとしては菅政権の支持を上げずに、代表戦の支持だけを上げようと思ったのだろうけど、そううまく行かなかったということなのだろう、



  しかしこれで多くの人が気づいてしまうのではないだろうか、何もしていないのに内閣発足時まで支持率が上がることはないはずだから、これで支持率だなんだという話は多くの人が信じなくなる、


  いえるのは、そこまで支持率が回復するくらいの不正をして、今の代表戦の数字が出ているということだから、根本的な菅政権の支持は異常なくらい悪いのかもしれません、





  さて、それはいいとして今日は、大衆民主主義と個人民主主義、ということでも書いてみようかと、

  なにやら難解なタイトルですが、ただ単にいいタイトルが思いつかなかっただけという、いつもながらの理由によってこうなってしまっているのですが、



  え?、まあ言いたい事はですね、民主主義というと衆愚政治というものがあって、それは演説とかアピールによって人々が洗脳されて動き、民主主義が民主主義たる意味をもてないことをいうのですけど、


  今の日本の政治はそうなっているのではないか、そんなことを思ったので書いてみると、



  それで大衆民主主義と個人民主主義という事で、民主主義といいますとアテネの民主主義というものが有名ですが、


  しかしあれは結局大衆が演説等に酔ってしまって、まともな判断をしなくなってうまく行かなかった、


  そういう話と、近代における民主主義の必要性の対比というか、違いというかな、そんなものを感じるんですね、



  今の日本の民主主義を見ていると、古代のギリシャの民主主義のようなもので、よく世論がどうだとか、そういう国民感情で政治をするということが基本にあって、国民が政治に対して判断をするということがない、


  小泉政権がいい例だが、あれは国民感情はあったが、国民は自分が何の判断をしているのか、一切理解することがなかった、


  しかし近代の民主主義というものは、国民が判断をするためにあるのであって、国民の感情をぶつける対象ではない、


  これは古代や中世に民主主義がなく、近代になって急激に民主主義が広がったこととつながるのだろうけど、

  近代というものは民主主義とセットになったもので、民主主義的なメカニズムがなければ近代社会は成立しない、


  近代における民主主義の必要性は、近代というものが非常に力の強い世の中にしつつ、同時に個々の人に対する過大な負担を生む時代であるので、その負担の軽減策として民主主義の必要性があるのだと思う、


  中世や古代の負担は、全体の負担が個人に来るものであったが、

  近代における負担は、個々人の負担が増大して、その個人的負担に対して個人では対処できなくなるという、そういう形を持っている、


  だからそういう個々人の負担を、情報として吸い上げるために民主主義があり、

  中世や古代の民主主義を大衆民主主義と表すならば、近代の民主主義は個人民主主義とでも言うような、そういう根本的な違いがある、



  そこで日本の民主主義を振り返ってみると、これは完全にギリシャとかああいう大衆民主主義であって、近代的な民主主義ではない、


  人々の全体の論を演出によって誰かが決め、個々人の意見は封殺し、全体の影響を個人に負担させるような中世的発想が根底にある、


  だからこの形を持っている限りは、近代において発生する個人に対する過剰負担と、中性的発想から生まれる全体の個々人への負担の流れにはさまれて、人々の暮らしは非常に厳しいものになる、



  近代の問題は個人の負担が個人的に増大してきて、個人的なことなのだけど、個人ではどうにもならなくなる現象にあり、

  また、それを中世のように、社会的に自然修正することも出来ず、人為的に個々人の問題を修正する必要性がある、


  近代においては今まで起きなかったような、非常に複雑で重大な問題が、簡単に個々人に降りかかってしまう、


  だからその個々人に降りかかっている問題を、政治的に吸い上げて対処するのが民主主義であるはずが、今の日本では逆に古代ギリシャの民主主義のように、国家が人々を圧迫する制度にしかなっていない、


  日本の民主主義の矛盾は、国家権力側が世論を制定し、国民の発言権を全て奪った上で、世論だ、世論だといって擬似合成された民主主義を、絶対的に正しいといいつつ押し付けているところに無理がある、



  よく考えてほしいのだけど、ギリシャの民主主義は結局広まらなかったし、殆どやる国はなかった、

  それが近代になってから急に民主主義が広まったということは、そういう古代の民主主義ではないものを、近代では要求されているわけで、その点を良く考えた方がいいと思う、



  つまりは、今の日本にはまだ民主主義が存在していないということ、

  近代における真の民主主義とは、個々人が国家権力になって、自らの問題を政治的に解決できるように働きかけ、近代という複雑で難解なものを成立させるようにするものであり、


  決して国家権力が民主主義になるもではないのである、そこが日本人にはわかっていないような気がするんですね、



  近代と中世は国家の概念が違う、中世は大きな塊のようなものが国家であるが、近代ではばらばらになった砂粒のような個々人こそが国家になるのである、


  そういう粒子のようになった国家形態によって、柔軟性を最大限に持ち、複雑で流動性の高い近代社会で人々が生きていけるようにする、そういうものであると思う、


  そこら辺の違いといいますかね、それが日本人にはわかっていないから、マスコミの作った世論が政治である、民主主義である、などという狂ったことを自然に言ってしまう、


  だが、それでは複雑な近代社会は成立しない、成立しない以上は非常に残酷な混乱の後で、近代から中世への退行が起こるだろう、戦前や戦後のようにね、


  しかし、いい加減日本人も学ぶべきだろう、中世的発想はいけない、中世的発想のある民主主義では意味がないと、そのあたりに気づければ世の中も変わるのですが、さてどうなりますか、





    それでは、今は週一回ですので次回は来週の水曜日になります、では次回まで、








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