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メディアの権力構造、

    どうもこんにちは、



  最近は自民党の馬鹿が馬鹿騒ぎをしていますね、うーん、まあ間違いではないのですけど、日本にはこんなに馬鹿がいたんだなと関心をしましたが、

  猿がキーキー言っているのと似てますよね、自民党って、エサとか縄張りとかそれしかないわけだから、私にはうるさい猿だなくらいにしか思えませんけど、


  で、そのサル連中が今騒いでいるのが、ボス猿である阿呆を落として、新しいボス猿と決めようとこれまたキーキー言っているようですが、私は残念ながら猿語は理解できないので、彼らの言っていることが理解できないのですけど、何を言っているのですかね?、


  何を言おうが結局、餌と地位と縄張りのことしか自民党の連中は考えないので、人間的な意味というかな、人間的な考えというものは出てこないので、私にはサルに見えてしまうね、


  というように、リアル版サルの惑星と化した日本ですが、さて日本に未来はあるのでしょうか?、どうやら猿の駆除がそろそろ必要であるように思います、




  ほかだと何かありましたかね、テレビや新聞を見ても自民党(実はサル)がキーキー飛び跳ねていることしか載っていないので、そんな一日中モンキーチェックをしてもつまらないですから、特に話題がないですね、、

  他だとそうですね、小選挙区の話でもかいてみますか、


  大した話ではないのですけど、今回の都議選を見て思ったのですが、小選挙区もいいところはあるんだなとは思いました、

  小選挙区というとひとつの選挙区で一人だけを選ぶので、死票という無駄な票が出やすく、また中小規模の政党が出づらいという批判があるのですけど、

  しかし組織票を無効化でき、政治的な流動性を作り出しやすいという面で言えば、良い所もあるのではと思いました、


  今までの政治が変わらなかった原因は、特定の権力を握った人がその影響で固定的な票を持ち、それによって絶対的権力を永続的に持ち続けたことに問題があったのですが、

  しかしそれが小選挙区ですと、絶対的に有利になれる、つまりそこの地域で過半数を維持し続けるだけの組織票というものは、確保が難しいので、権力移行が起きやすくなっているというのはあるように思います、


  ただそれは同時に、例えば小泉政権のような劇場型政治をした場合、メディアが政治支配をしてしまうという欠点もあるので、小選挙区ではメディアの客観性がどうしても必要になるのでしょう、

  ですからもしこのまま日本で、小選挙区制でしばらく政治をするのならば、メディアの形を大きく変える必要もあるようには思うのですね、

  例えばメディアの解体とか、そういうことをしないと小選挙区制の維持というものは出来ないのでしょう、


  そういう意味で言えば小選挙区制は諸刃の剣過ぎるのかもしれませんが、うまく使えば民主主義的な方向性を強めるいい道具であるようには感じました、
    




  さて、それはいいとして今日は、メディアの権力構造、という事でも書いてみようかと、

  前回の続きっぽい話ではありますが、日本を覆っている何らかの限界。 思考、視点、判断、そういうものに対しての限界というものが日本には多く、日本においては自由な発想や考えというものがあまり存在しません、


  その本質的問題は民族性によるのかもしれませんが、ただ見たところマスコミの弊害によるものが多いように思えるので、今回はそういうことについてでも書いてみようと思っているのですが、


  それでメディアの権力構造という事で、日本の構造というものは支配者による統治機構という面が強く、国民が国のことを考えたり行動するという事はなく、大体において国家は人任せでありかつ、実際は日本人はその支配機構に組み込まれている人々でしかないと思います、


  ですから北朝鮮を今は悪く言う人が多いが、実際のところ日本もほとんど変わらない国であり、自由に考えたり発言をするとか、生きるという事をほとんど日本では認めていない、

  日本においては人々の生き方考え方は、最初から統制された中での人生しかなく、もしくはそういう統制された生き方以外の生き方を、非常に強い力で制約をしている国であるといえる、


  しかし一見日本という国は自由であり、そういう制約があるようには見えない、ではその制約を生んでいるものは何であるかと考えてみると、


  そう、それこそがマスメディアによる洗脳的な支配体制であり、人の生き方を洗脳的に支配しているという事が、日本が統制的な特定の生き方以外がほとんど不可能になっている原因であるわけです、


  そしてそれを逆に考えてみれば、それこそがマスコミという存在の権力構造であり、マスメディアというものは社会的な必要性でもなく、社会をよくするためでもなく、ただ単に支配者として日本においては存在しているのです、


  その権力構造とは洗脳による集団合意権の保持というものをしていて、


  これは前も書きましたが、人間の集団における意見というものは、その集団の人数が増えると、意見の合意ではなくて合意が先にあってそれを人々に押し付けるようなものになる、


  そしてその合意を決めるためには、広域に独占的な宣伝権を持ったメディア媒体が必要であり、そういう絶対権を持った存在がその合意される案件を私的に決めることができ、その権限の保持こそがマスメディアの真の存在意義であるといえましょう、


  元々社会がなんであるか、人々がどう生きるべきであるかというのは、そのつどその状況によるものであり、それに対して特定の考えを持つというのは本来の形から見れば変なのであるが、

  しかし実際のところ、日々生きていて人の生き方に関して、そのつどその状況でどうであるかという事を、日本においては決めることが難しい、


  それはマスコミが人の生き方の集団的な合意を、自らの私的な利害によって決めてしまっているので、個人的に自分の人生や生き方を決めることができないように、この国の仕組みはできている、


  日本人が集団的であるので、そういうことが起きていると今までは言われてきたが、しかし現実的に見ると今となっては集団的合意といわれるもの、普通はこう生きますよという考えのほとんどが、非常識な非現実的なものになっている、

  そう考えると、集団的であるのではなくて誰かが非現実的だがその勢力にとって有利なことを、国民に押し付けているから日本がそうなっているのだと考えるほうが正しいと思う、


  そしてその押し付けているのがマスコミであり、マスコミは自らの利害のためにこの国の人々の未来を奪っている存在であるといえ、明らかに国民の敵であると思う、


  であるから、これから日本人がもう少しまともの生きたければ、やはりマスコミという権力構造を作り変え、主体的な判断ができるようにしなければいけないだろう、

  マスコミにとって国民というのはただの奴隷なのでね、連中が国民のために働くというのはないでしょう、個人的にはそういう人がいたとしても本質的にはそうはならないのではないだろうから、


  結局マスコミの狙いが、日本人全体の集団的合意を決める権利の行使と保持だけなので、日本人に対する支配欲しかないマスメディアにでは必要性がない、


  だから、これからはマスコミを解体し破壊して、メディアが日本人の集団的合意に対して発言ができないように厳重に縛り上げて、その上で日本人の合意というもの、日本人がどう生きるか、どうであるべきかという事を、国民の中で決めれる形を作っていかなければ、この国の未来はまずないのではないかと思います。





    それでは、来週はどうしようかと思っていたのですが、なんだか選挙が遠いらしいので、来週は週一回にして、次回は来週の水曜日にしようと思っています、では次回まで、

    (//もし、何かあったら増やすかもしれませんが、、)








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