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政治は日本の理性たりうるか?、

    どうもこんにちは、



  そういえばあけましておめでとうと言いそびれましたね、もう正月でもないので、まあ仕方ないですが、


  新しい年とは言いますが、今年はごたごたが多そうです、今年あるのではないかといわれた戦争やテロはもう起きてしまったし、後は状況が悪化する流れがどこですべり止まるかという、悪化の限界との戦いになるのでしょうか、



  それでいろいろ何か起きていますね、ややこしいのですけどひとまず書いてみましょう、

  まず最初はイスラエルがパレスチナのガザに侵攻をして、多くの人を殺していると、今のブッシュ政権は今月の20日までしかないから、オバマ政権になるまでに早めにやってしまおうとしたと、

  しかしパレスチナの作っているロケット砲くらいは、手製で作れてしまうから、ほとんど意味はないだろう、ミサイルとかならミサイル拠点をつぶすことこに意味があるだろうけど、迫撃砲に近いロケット攻撃を防ぐことは出来まい、


  北風と太陽ではないが、ゲリラ的なものに対しては軍事解決はほとんど出来ないので、イスラエルの行動はただ悪化させただけで終わりそうです、
  
  これがオバマ政権のスタートラインになるならば、アメリカの流れはかなり変わってしまうだろう、政権の切り替え時期だからこそリスクがあることにイスラエル側が気づいていたかどうか、このまま行くと泥沼のゲリラ戦が続くのだろうか、

  それがアメリカにとってイラクアフガンの泥沼のゲリラ戦とダブって見えたときに、どう世論が動くかかな、



  次は、派遣労働者の問題、派遣村というものができてそれに対して政府が批判をしているが、国民を奴隷とした見ていない日本政府らしい発想ですね、


  そもそも何度も書いているけど、派遣労働というのは特定のスペシャリスト向けの労働形態であり、一般労働のためにあるわけではない、

  だから派遣労働は保護をする法律もなく、また労働組合もない、労働者保護の観点は派遣労働には存在しない、


  そしてそこをうまくついて財界の連中は、金融恐慌向けに首切り要員として用意していたのだろう、

  派遣労働の増大は、戦後的終身雇用年功序列に問題があり、今の日本ならば人を切って再就職をするとき、この戦後的労働形態が邪魔になる、

  つまり年功序列があるので、それを崩せないから再就職が出来ない、

  今はそうでもないが一時期人手不足といわれていたが、なぜ人手不足かというと、年功序列を維持したまま人を雇うことが出来ないから、人手不足になっていた、

  終身雇用年功序列を維持するために、再就職を不可能にして、そういう人を派遣社員という世界へ放り込んでいた、

  だから今の派遣切りは二重のリストラのようなところがあるんですが、 本当はさらにここで首を切った人間を兵士にして、本当に首を切ってやろうと財界のやつらは考えていたのだろうが、昔とは状況が違ったのでうまくいかなかったと、



  今、財界の連中は雇用維持とはいっているが、今までやってきたことと逆のことを言っているのだからこれは嘘だろう、
  
  ワークシェアリングといっているが、これはそもそも日本の仕事があまりに長時間労働であるから、それを分けるという意味があったんだがな、

  そもそもワークシェアリングとは生産性の過剰化に対する調整であり、基本的に不景気でやるものではないんだかね、


  だから財界のいう雇用対策でワークシェアリングというのは、意味が分からない、

  労働者配分を良くするというのが、ワークシェアリングなのだから、派遣労働者の首を切って正社員の仕事を分け合うのはそれにはなるまい、

  正社員の仕事を減らして派遣社員に仕事を回すのならば、確かにワークシェアリングだが財界のいっていることは意味不明だな、正社員からも搾取をするために、言葉面だけを良くしたというあたりだろうか、

  昔のホワイト-カラー-エグゼンプションの話と同じだね、人をだまそうとしてるだけのようです、



  あとは何かあったかな、、そうえば堀江メール騒動で議員辞職に追い込まれた、永田議員が自殺してしまったようですね、

  思い出しますねあのころを、日々絶望感でいっぱいでしたよ、詐欺師の小泉が馬鹿みたいに騒いでいて、まったく気味の悪い世の中でしたけど、


  だけどそれを永田氏が手を突っ込んでひっくり返してしまったからな、ずいぶん世の中変わったものです、

  永田氏は甘いといわれますが、その甘さがごちゃごちゃとした当時の政府の形を崩したわけで、私は永田氏を評価していたのだけどね、

  国民もマスコミを別にすればそれほど否定はしていなかったのではないかな、結果的に功績が大きかったわけだし、


  それに堀江メール騒動は明らかに自民党による引っ掛けだったわけだから、確かその年の前の12月あたりに堀江氏が逮捕されて、それでマスコミが馬鹿みたいに騒いで、多分その流れと一緒にこの堀江メール騒動というのも仕組んであったのだと思いますよ、

  そもそも堀江氏と自民党の間に多額の金の流れがあったこと自体は、事実らしいし、選挙は金がかかるからそういう関係はあったようだ、

  そして多分そのあたりのことをごまかすために、永田氏を引っ掛けようとしていたのだろうけど、永田氏があまりに派手に引っかかったから、結果的に全体がひっくり返ってしまったわけで

  結果的に言えば別に永田氏は悪くないと思うんだけど、偏ったマスコミ報道によって傷ついていたのだろうかな、

  残念なことですね、自民党による他殺の可能性もあるが、、ひとまずは心より冥福を祈りたい、日本の歴史を大きく変えた人物として、個人的には評価をしたいと思います。





  さて、それはいいとして今日は、政治は日本の理性たりうるか?、という事でも書いてみようかと、

  まあようは今まで書いてきたことのまとめみたいな話ですが、今まで書いてきたのは、江戸時代は武士制度があったので社会の理性的存在がいて、欲望による過剰な社会の流れを抑制するところがあったわけですが、

  それが明治維新によって武士制度がなくなり、そういう理性的システムが消滅し、明治以降の歴史は人間の欲望と、その破滅の繰り返しのような、ある種の破綻の歴史だったわけです、


  ではそれを押さえるための日本における理性的システムとして、政治というものがそういう意味をもてるのかどうか、という事でも考えてみようと思っているのですが、


  それで政治は日本の理性たりうるか?という事で、明治維新以降の歴史において、一番の日本の変化は政治的変化であり、近代化というものは技術的には江戸時代においてもかなり進んでおり、技術や経済的変化という面で言えば、鎖国をしていたから遅れていたという面があるとはいえ、それほど極端な変化はなかったのではないかと思います、


  それより一番大きかったのが政治的変化であり、武士制度がなくなり、また民主的な政治の流れが起きて、政治システムが根本から変わり、この根本から変わったことが日本の明治維新以降の歴史を作ったといっていいでしょう、


  明治維新以降の政治の歴史とは、民主主義への道でもあり、結局のところ民主主義をどうするかというのが、明治以降の日本の政治の歴史の殆どだったといっていい、

  しかし当時は海外との戦争や、経済の発展のために国民を酷使し、搾取するための国家制度という面が強く、民主主義的な政治制度を作れる機会がなかった、


  そのため結局日本の政治の歴史というものは、ほとんど進歩といえるものがなく、形式形骸化した具体性を伴わない、いわば飾りのようなものになってしまっていたような気がします、


  しかし、そもそも武士制度をやめた以上、日本の理性的システムは、政治に全権を委ねられているわけで、日本の民主主義が機能しない限り、日本という国が理性的に働いたり動くことはなく、この国の理性は働かないことになるわけです、


  人間で言えば理性のない欲望だけの人間がただの犯罪者になるように、日本の歴史を見ても明治維新以降の歴史って、どこか犯罪者的な感じがするのは、やはりそういうのも理性が働いてないからだったのだろう、

  だから今の日本に対しても、昔の日本が正しいという人にしても、その多くは理性的な判断ではなくて感情的、もしくは欲望的な発想が強く、最近の新自由主義うんぬんというのも、どこか犯罪的でどうも胡散臭い話にしか見えなかった、


  だからそういう日本の欲望だけの歴史、そういうものを修正しないといけない、低く流れる腐った水が高みに昇る事はないのだから、欲望だけの犯罪者的な方向性へ進む必要はあるまい、


  そのためには民主主義的な方向性もしくは武士的な方向性、この二つは似ていて二つとも下から上への流れを持っていて、下から上への上昇気流というものが、社会全体から見れば淀んだ歪みの深みから、人々や社会を引き上げる力を持つ、


  必要なのは下から上への突き上げであり、社会が低く流れることをとめること

  しかしそれは、下から上へ欲望が走ったら、これは実質的には下がってしまうので、それではいけない、

  必要なことは下から上に物事を持ち上げる意味を持っているかどうか、力を引き上げれるかどうかではなく、意味を引き上げれるかどうか、集合体という存在である人間の意志が、集合体の上でも意味を成せるかという事、


  それこそが集団の理性であり、その理想系に近づけば近づくほど、その集団は強い力を持つことができる、

  うん?、結局力なのか?、

  まあそれはともかく、集団が欲望を持ってしまうと、それは歯止めのない狂騒になり、結局のところ失敗する、

  であるから欲望を抑えて理性的に動くことが、組織や集団においても求められる事であり、国家においてはそれを行うのが政治の役目である、


  民主主義はその人々の意思を集約して、その集約的意思を持って集団の理性としようという意味があるのだろう、

  武士は個人的理性の限界に立つことによって、それを集団の理性の代わりにしようとしたが、そういう存在のいない今の日本では、個人としての理性をあてにして政治を考えることはできない、


  であるから集約的意見として、国民の意思を理性として表さねばならない、あらわさねば国家は低く流れ犯罪的な意味しか持たなくなる、

  理性を人々の集約的意思にゆだねる民主主義、さてこれが日本の政治の理性たりうるのかは、結局のところ日本人次第になるという、落ちのない終わりになってしまうのですけど。

  (どうもそういう意味で言えば、民主主義はあまりいい制度ではないような気もしますね。。)






    それでは、来週からは週二回になるので、次回は来週の火曜になります、では次回まで。







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