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多数は手詰まりを生む、

    どうもこんにちは、



  あれこれざっとみてみたのですけど、どうやら今は凪ぎのような状態で、しばらくは何もおきないようですね、来年になると大変だといういう人は多いのですけど、しばらくは水面下で問題が起きて、表面的にはあまり見えない状態が続きそうです、


  だからやはり今選挙する事が日本のためになると思うのだけど、そんなまっとうな国じゃないので、そんなことはまず起きませんが、、


  見たところだと今週アメリカで行われるらしい、金融の会議でこれからの金融のあり方、経済のあり方を話し合われるのではないかといわれていますが、これにも日本は関係ないものな、地域振興券がどうたらこうたらでしょ、金をばら撒いてどうこうしようとかそんなことしか政府は考えていないから、あんまり日本は関係なさそうですね、そういう会議に行ったとしても、


  ただマスコミの論調を見ると、日本が今回の金融危機の救世主になるのではないか、という意見が良く出てきているので、可能性があるとすれば日本を今回の金融危機の救世主(実は生け贄)、にしようという動きはあるようですね、


  金融の神々にささげる哀れな子羊として、日本が切り刻まれるように思うのだけど、自民党は自分さえ助かればいいと思っているから、平気でそんなことをするだろうし、どうもそういう日本が救世主、日本が有利になるのではないかという話は、胡散臭いものを感じますね、

  
  確かに今のような金融危機はチャンスでもあるが、戦前の戦争も金融危機に合わせて手を出したことが実は戦争の原因になっていて、昔も金融危機に下手に手を出したことが軍事独裁体制の元になったらしい、
  
  実際は金融の自由化をしたらすく金融危機が起きて、経済が目茶苦茶になったのが戦争の原因だったらしいのだけど、どうなのかな、今のようなタイミングで手を出すべきというのは、歴史を繰り返す可能性もあるように思うのですけど、


  もしくはその可能性を誰かがまだ探っているのか、

  今の政府与党は小泉政権というポピュリズムから、ファシズム、翼賛体制、軍事独裁化、そういう流れを考えていたのは間違いはないが、

  そういう流れは、前の戦争が負けたときの裏取引でもあったのか、協力者であったアメリカが手を引いて、行き場を失っているのだろう、 元々の自民党の考えでは今頃憲法改正、そして軍事的強化を目指す段階に入っているはずだったのだろうが、アメリカの弱体化によってすべてがご破算になったわけだ、


  最近変な幕僚長が、関係の深かった耐震偽装関係の懸賞に応募して、(二人ともグルだったらしいけど、)そういうことで騒ぎになっているが、これもそういうシナリオとかの計画だと、そろそろ自衛隊がこの国を支配している予定だったのに、何でうまくいかないんだ?という反発にも見える、


  戦前も金融危機があってそれにかこつけて、軍部の一部がクーデター的に支配して、そしてその支配体制の維持のためだけに戦争をしてたんで、それをもう一回やろうとしていた計画が潰れて、あーだこうだと騒ぎになっているのだろうな、

  しかしそういう勢力からみれば、生き残る可能性は金融危機にかけるという事になるから、今が一番危ないんですけどね、 しかしそんな変な論文を書く程度の連中だけなら、何とかなりそうな気もしないではないのですが。


    


  さて、それはいいとして今日は、多数は手詰まりを生むという事でも書いてみようかと、
  一応前回の続きみたいな話なのですが、前回は社会が高度化してくるとそれを理解できる人が減ってきて、誰も理解できなくなったときに社会の崩壊が起こるのではないか、という事を書いたのですけど、

  ではそういう観点から見た場合に多数というものはどういう意味を持つか、という事でも書いてみようかと思っているのですが。


  それで多数は手詰まりを生むという事で、今の世の中は何か手詰まり感があるというか、何かが悪いと言い切れないのに、何かもどかしい限界のようなものがあるというか、手詰りと言えば手詰まりのようなそういう感じのする世の中ですが。

  その原因を考えるとやはり戦後的な組織主義、そして集団主義というか、そういうものが日本の手詰まりを生んでいるように思います、


  組織がなぜ悪いのか?、集団的発想がなぜ問題を生むのか?、それは社会の高度化と全体の人間が世の中を理解する度合いが反比例するからで、世の中か発展すればするほどそれを理解していついてこれる人が減る、

  そしてそういう状態で集団や多数が正しいとやれば、必ず間違った判断を選ぶことになる、


  つまり組織的判断というものは高度化してしまうと、間違いだけを選んでしまうという事で、三人よれば文殊の知恵という言葉もありますが、三人ぐらいならよくても、日本のようにみんなこうであると強制するような生き方をして、その共通性からこれが正しいといっても、それが答えになることはないのです。


  集団の認識というものは、権力にはなりますが意味にはなりません、ですから集団認識によって物事の正しさが表されるというのは、権力の正当性にはくをつけるくらいの意味しかないと、考えたほうがいいでしょう、


  そういう意味で言えばここ数年、戦後という時代がしきりに全体の認識の統一をやっていたのは、自らの時代の終わりに対する恐怖心理の現われかも知れまsんが、 


  それはさておき、近代化にしろ社会の進歩にしろ、その変動には必ず反動的作用がはさまっているはずであり、変動がある以上何かが変わってきているはずでしょう、

  今の世の中を見るとその変化というものは、理解しづらい社会への変化、というものが一番の大きいように思います、


  そういう事に対する問題は、理解できないことをどう対処するかであって、一番向いていない組織や集団では今の世の中を乗り切れるとは思えない、

  組織というものは理解の上の行動においては有利だが、物事を理解するのには共通性を重視するので向いていない、
  組織は行動要素にはなっても判断要素にはならない、だから組織を軸に考えていては行動はできても判断はできない、


(//そこで行動的であるが難しい判断を要する餌をばら撒けば、日本人はまんまと引っかかるというところかな、
  例えば軍事とか過剰な金融とかがそれに当たるだろう、理解はしづらいが行動はしやすいという類だから、//)


  話がずれましたが、まあとにかく前回書いたように高度化した社会は理解がだんだん難しくなり、理解できる人が減ってくる、

  そして日本人の組織的発想、共通項を探していくような考え方は、行動を起こすのには向いているが、判断をするのには向いていないので、今のような社会では殆ど役に立たない、


  であるから戦後的発想を捨てて、社会を理解できる判断のしやすい形を具体的に作り出す必要があり、それができないのならば日本の没落もやむなしと考えるべきである、

  人間の生き様は、結局のところは現実との知恵比べであり、敵は自ら自身の癖や体質である、組織や集団的発想は高度化した社会を理解できないという欠点がある、つまり今のような世の中を戦後的発想で理解するのは不可能である、

  その手詰まりが、組織的原因でありつつ、組織の行動性が行動による問題の解決を狂ったようにやり、どんどん状況が悪化する、


  最初は多数で良い、しかしいずれは小数にならざるえない、問題はその少数によっていかに多数を形成するか、全体を共通にすれば簡単に多数は作れるしかしそれでは能力が低い、

  だから今のような社会に対応できる、社会メカニズム、もう殆どメカニックくらい言ってもいいような、ややこしいシステムをくみ上げないと、今の日本を良くする事はできないでしょう。






    それでは今は週一回ですので、次回は来週の水曜になります、では次回まで。







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