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政治に神はいるか、

    どうもこんにちは



  暑くなったと思ったら寒くなって、寒くなったと思ったら暑くなる、なんだかはっきりしない天気ですが、今日は暑いですね、

  そういえば総裁選ってのはどうなったんですかね、テレビ見ないのであまり分からないのだけど、二?三日騒いでいたけど、最近はあまり見ませんね。

  
  プロパガンダ的に見ると、プロパガンダというものはあいまいなことを強く認識させる事によって判断を奪うものだから、はっきりと分かってしまうとあまり効果がない、あいまいで意味がありそうな感じを出して操る、それがプロパガンダの基礎なのですが、

  今回の場合は去年も同じ事をしたという前例があるのと、現実的な経済的痛みがあるので、あまりプロパガンダは効かないようですね、
  
  聞いた話では5?7人くらいが出て、何か議論するとか何とか言っているが、そもそも自民党の存在そのものが間違っているのだから、その上で何を語ったとても、詭弁にしかなるまい。


  ただ、まだ分からないのですが、郵政の時のような騒動にならなかったのは不思議に思います、

  原因があるとすれば、、

  一つには、日本の価値が下がってもう興味がないこと、これはあるかもしれない、最近のアメリカを見ても日本に興味があるようには見えないし、どうでもよくなった可能性はあるかな、

  もう一つが、アメリカの戦略の変化があるのかもしれない、最近のアメリカ大統領候補のマケイン氏の行動を見ていると、どうもテロとの戦いをやめようとしているように見える、

  最近起きているグルジア問題も、このことについてはマケイン氏がかなり関わっているのではないかと言われているが、そうだとするとマケイン氏の狙いはテロとの戦いをやめて、ロシアと争う新しい冷戦構想というのを考えているのかもしれない、

  そうなるとテロとの戦いを言っていた自民党は用済みだから、切り捨ててきたのか?、

  もしくは、小沢氏の選挙能力が高すぎてお手上げなのか、最近の選挙はやる前から統計学的な方法で、結果が分かってしまうから、殆どのデータで自民党の負け確定と言っている状況では、マスコミもアメリカも協力ができないのかもしれない、


  ただ最近は一週間たつとけっこう変わったりするもので、来週になったら変わっているのかもしれませんが、思ったより総裁選ネタははずしている感じはします、この一発芸をはずしたら自民党は終わりなんだが、、
  
  マスコミはロシアの相撲取りの麻薬騒動とか、そういう話が多いが、グルジアの話もなぜかロシアたたきの感情論を書くことが多い、ロシアが軍事国家から資源国家に変わってきたことを念頭に考えるべきなのに、冷戦時代のような反ロシア的な感情論を垂れ流すマスコミには、奇妙な感じを受ける、

  やはりアメリカの新しい冷戦構想と今までの自民党がぶつかって、協力関係が薄れてきているのかな、ロシアの相撲取りもアメリカで麻薬を手に入れたといっていたし、、、、

  まあこのあたりは書くと長くなりそうなので、また機会があったら書いてみようと思いますが、ポイントは反ロシアという流れをアメリカが作ろうとしていること、ただそれは昔の冷戦のようなものではなく、資源のある国とない国の争いのような面が根底にあること、グルジアの問題も結局は資源の問題ですから、そういう話が増えてくるような予感はあります、





  さて、それはいいとして今日は、政治に神はいるか、ということでも書いてみようかと、
  少し前にふと思ったのですけど、日本人の問題点は信仰の対象にすべきでないものを、信仰にしていることなのではないかと思いました。

  政治論にしても経済論にしても、規範としての形が完全に固定化した上での話が多く、なにがそうなのか、どうしてそうなのかという話ではなく、そうであるからそうである、決まりきったものの中にしか現実がない、そういう話が多いように思うのです、

  でまあそういうことはなぜあるのかと思ったので、書いてみると、


  それで政治に神はいるかということで、私が政治のことを書いて考えてずいぶん経つのですけど、その考えていく中で感じたのが、思考が非常に固定化しているのですね、これが政治でありこれが絶対である、そういう考えしか基本的に存在していない、思考停止した世界でした、


  そしてそれがなぜそういうものを生んでいるのかと考えたとき、これは政治という宗教で、政治論は信仰の一種なのではないかと感じました、

  政治を考えるのでなく、政治を信じる、神や仏を信じるように政治を信じる、そこに考えを挟んではいけない、政治を考えることは不道徳であるかのような、そういう閉鎖的な世界であったように思います。


  そしてその日本の政治信仰の根本は、たぶん中世のころの天皇制や江戸幕府のような、武士の封建体制の名残があるのではないかと思います。


  昔の政治は上に立つ人間が規範を示し、その信頼が政治の形を作り、その形によって政治をする、そういう意味が強かったと思います、
  天皇家は規範を示さなければいけない、武士は社会の規範になるように生きないといけない、そしてその信用によって世を総べ政を行う、それが今までの日本の政治であったと思うのですが、


  しかしそういう信用による政治というものは、近代においては通用せず、近代政治というものは、性悪論的な不信を軸にしたものであり、今の状況で中世的な政治観念を使うのは、大きな問題を生むでしょう。

  近代の政治というものは、政治の役割の増大を招いており、社会の複雑化高度化に対処するために、政治もそれに合わせるような高度な意味や価値を求められています、

  例えば社会保障制度、今まで世の中ならば、だいたい年をとれば寿命が来るようになっていて、社会保障というものをそれほど考える必要はなかったが、 しかし今のような世の中では、社会保障制度がなければ社会全体が崩壊してしまう、
  

  そういうことを考えつつ政治の意味を考えるならば、政治というものは着実に意味を持たねばならないものであり、政治というものに対して信仰を持つということは、極めて危険な行為になっていると思います。

  今の日本を見ていると、政治は正しいものだという意識が強すぎる、正しいからやるべきだどうだという考えが強い、 小泉みたいなバカも成立したのはやはり、政治というものが正当性の吟味だけの場であり、具体的意味というものを考えるところではない、と多くの日本人が考えたから成立したのだろう、
  その結果起きたのが日本の急激な悪化であり、たぶん小泉政権のせいで数十万人は死んだと思う、


  近代の政治は、責任と具体性の政治である、だから政治的な問題は具体的な結果として、良いにしろ悪いにしろ現れる、
  政治が具体性を持たないところでは人は生きれない、もしくは生きれたとしても中世のような世界観のレベルまでであり、近代的な社会の維持はまずできない、
  
  つまり政治というものは一歩間違うと死活問題になりかねない、非常に危険なものであるということ、


  昔の政治は情念であり、政治はあったが社会と政治の共同体であり、政治の役割は中心点としての安定性が強く、具体性まではあまり問われなかった、

  しかし近代になって、社会は経済になり、人が生きていく拠り所は消滅し、人は政治と経済だけに挟まれて生きるようになった、

  そういう状況で昔話的に、政治を信仰しているのが今の日本である、だから、こんな国がうまく行くわけがない、
    

  とにかく、今までのような政治信仰は捨て、政治の意味や価値をできる限り100%の具体性現実性を持って、構築する必要があり、政治を信じてはもういけないのである、

  政治に神のいる時代は終わり、政治は物になった、道具になった、その現実を捉えれるかどうかが、これからの日本の未来を決めるのではないかと思います。






    それでは今は週二回ですので、次回は木曜日になります、では次回まで。






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