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自己責任はどこまで可能か、と、権利のない日本、

    どうもこんにちは


  
  税金をどぶに捨てたサミットが終わり、少しは静かになるかと思ったのですが、相変わらず世の中いろんなことが起きますね。

  最近だと朝鮮半島でなにか起きているらしく、韓国の観光客が撃たれたり、日本の文部省が竹島を教科書に明記したり、そういう朝鮮半島を中心とした何かが動いているようです。


  このあたりの話を最初聞いたときは、アメリカと北朝鮮と自民党が手を組んで、韓国たたきでもやっているのか、と思ったのですが、なんか最近は風向きが変わって、日本が全部悪いみたいな話になってきているようです。

  多分もともとの狙いは、韓国の反米デモ、まあ狂牛病感染した牛肉の輸入問題でですが、そういう輸入問題で、非常に激しい反米活動が起こり、その結果韓国のトップが辞めるのではないかというところで、今回のことが起きたわけで。


  だから私は最初そういう反米的な韓国を、アメリカ主導で叩こうしていたのかと思ったのですが、日本の文部省が竹島明記とやったので、韓国側が日本たたきを始め、結果として韓国の反米は反日になり、いつの間にかうやむやになっていますね。

  このまま行くと北朝鮮との対立も、反日感情によって緩和し、韓国の反米も緩和して、北東アジアでは日本たたきがひどくなる、という流れでしょうか。


  しかし腑に落ちないのが、なぜ文部省がこのタイミングで竹島明記をしたのか?、役人がするわけないから、誰かが指示をしたのだろう、日本を悪人に仕立て上げるために誰かがそうしたのだろうか、

  竹島の話は考えるべきだが、このタイミングで言うのは日本のメリットにはならないだろう、不思議とこの問題は誰がそうしたのかという話が出ない、何らかの策謀の匂いはしますね。

  まあこれは私の想像ですが、何かきな臭いですね、最近の朝鮮半島の動きは、



  あとは、、そういえばきのう日本中の漁船が、一日ストライキをしたらしいですね、原油の高騰でもう食えないというので、一日漁をしなかったらしいですが、

  これに対して政府は対応を考えると入っていますが、どうですかね。

  インフレの問題というものは、一部の問題ではなく、全てに影響を与えるので、漁業補償をすれば他の補償も必要になるだろう、例えばタクシーとかトラックとか、そういう運送関係も補償のためにストをするかもしれない、


  労働組合は賃上げとかだと、あまり賛同は得られないが、インフレを軸にするとけっこうな支持が集まるような気がする、

  今回の漁師さんのストは、インフレを軸にした集会なり、ストなりがけっこう効果的で、成功しやすいということを表しているではないかな、だから今の政府に対して活動をするなら、インフレをどうするという話で追求したほうがいいような気がする、
  例えばいま野党が政府にインフレ対策を求める集会をしたら、かなり人が集まるだろう、

  まあインフレがどうなるかによりますけど、しばらくはインフレ問題を指摘していったほうが、与党のダメージにはなるような気がしますね。





  さて、それはいいとして今日も長い長い二本立てで、まあ一つ目として、 自己責任はどこまで可能か、ということでも書いてみようかと、最近もそうですけど権力者というものは、無責任なやつが多いので、それは自己責任だと、そいつだけが悪いのだと、そう言う事が多いですが、

  しかしそういう自己責任論がまかり通って、結果的に社会がひずみ、世の中が悪化してきているのを見ると、自己責任論というものは、問題のある考え方ではあるわけです。

  自分で責任を取れ、大人なら確かにそういわれても仕方がないわけですけど、そう考えてしまうと世の中が悪化してしまう、そういう問題はなぜ起こるのかということをちょっと考えたので、書いてみると。



  それで自己責任論はどこまで可能か、ということで、己が責任を取って生きていく、それ自体は正しいと思うのですが、どこまでも責任を取れる人というものはおらず、自己責任というものには必ず限界というものがあるわけです。

  それがどの程度かというのは、人により、状況によると思うのですが、最近言われているのは、社会的問題は自己責任でどうにかするべきである、まあ政治放棄のような発想ですが、社会問題は自分でどうにかしろというのが最近の自己責任論の、中心的考えなわけです。


  
  しかし書いたように、人間の負える責任というものは、そもそも限界があるわけですから、それ以上の責任を負わせるというのは、おかしな話なわけです、

  ならばよく言われる自己責任論は、どこまで責任を負わせる権限があるのかと、考えてみると、



  だいたい権力者の言う自己責任論は、一般人を対象にしていますから、まあ負うことができても、個人的な問題までじゃないですかね、社会的な問題まで個人で負うのは無理でしょう、


  例えば政治が社会を変えて、もしくは時代が社会を変えたとして、その結果発生した問題を自己責任論で負うのは無理ですね、社会問題を負えるような個人はいませんから、

  自己責任論というものの盲点として、百万人くらいいてそれに自己責任で負わせているので、実はそれが一人一人の個人負担になっているように見えないという錯覚があるのですが、実際は自己責任論的にやった場合は個人負担になるので、例えば日本中にいる人に負担させても、それはその問題を一人に負担させたような問題を生むわけです、


  問題を支える人が数が多くても、支えるシステムがないのならば、事実上それが誰か一人の負担になることもある、今の社会ではこういうことが多いですよね、負担がかかり易いところから潰れてきて、だんだん全体が悪化してくる、

  全体に対して自己責任論を言っているから、一人の負担は小さいように見えるけど、全体でどう支えるかという考えが自己責任論にはないから、特定の誰かに過負荷がかかって、そこが潰れて行って全体が潰れていく、


  広域的自己責任論というものには、矛盾があり、多くの人に自己責任論を呼びかかけるということは、最終的には全体の崩壊のような形になり易い、

  
  自己責任論はあくまで個人に責任を負わせるという考えだから、社会問題を支えるような、能力や意味は持っていない、
  だから自己責任論で問えるのは、個人的問題だけであり、社会的問題を自己責任論で考えるのは、話として無理がある。


  社会的問題は社会全体で支えなければいけない、が、自己責任論はその社会的支えのメカニズムがない状態で支えろ、という考えであり、この考えで社会問題がどうにかなるというの話には無理がある。


  そしてこの無理のある考えを長年進めた結果、この国は部分崩壊からの全体崩壊という、社会問題の自己責任論の歪により、全体の崩壊の岐路に立っている、
  弱者はいらぬ、地方はいらぬ、弱い産業はいらぬ、そうやって社会問題を弱者に押し付けた、自己責任論はこの国の、端々を潰し、その潰れた先端から入ったひびが全体の亀裂を生み、亀裂がこの国を終わらせようとしている、

  自己責任論はその名のとおり、あくまで自己の問題に対する責任であって、社会的問題を問える考え方ではない、それが対象の多い広域的な自己責任論が、多くの人を対象にしているから、社会問題に対しても対処できると見えたところに、錯覚があり、そしてそれが今の現実を生んだ原因なのであろう、

  部分部分の断裂が、この国の病である、末端であれそこから流れる病液は、この国の中枢を破壊するだろう、
  
  それを避けるためには、自己責任論による社会問題の解決という、盲策を排除し、社会問題を社会的に解決できる方策を考えるのが正しいといえるでしょう。


    


  さて、それでは二つ目として、権利のない日本、ということでも書いてみようかと、
  前の続きみたいな話ですが、上の話では自己責任論の限界のようなものを書いたのですが、海外では結構自己責任論でやっていますよね、それは個人の問題であると、

  ではなぜ海外では、自己責任論でも何とかなるのに、日本ではどうにもならないのか、とまあそんなことでも書いてみようかと思っているのですけど。


  それで権利のない日本というと事で、タイトルでなんとなく書いていますけど、ヨーロッパですと権利意識が強いですよね、これは私の権利ですとか、こういう権利がないのはおかしいとか、そういう論が非常に多いわけです。


  ヨーロッパでは個人の責任であるという、個人主義的な発想が多いですが、そういうものは、権利を重視をするという意識と合わさって存在していると思うのです、


  つまりヨーロッパでは、個人的権利が非常に強いので、自己責任論もある程度は成立する。

  それが日本の場合、個人の権利というものが非常に弱いですから、自己責任論で考えることは殆どできない。



  日本は西洋にあこがれ、最近の自己責任論が成立した理由も、ヨーロッパではある程度自己責任であるから、そういう自己責任論が日本でも成り立つのではないか、と考えたのだけど、政治家に騙されただけだったというのが事の顛末ですかね。


  では、日本がそういう西洋的な立場につけるためにはどうするべきか、やはりそのためには個人の権利の強化がいると思います。

  個人的権利の強化がない限りは、個人的責任も問えませんよね、責任能力がないわけだから、
  個人の権利強化と、個人主義的な発想があって、ある程度の自己責任論が成り立つのでしょう。
  

  まあただ、個人的強化ということは、その権利保護のために社会機構が必要になるので、だから社会問題を自己責任に帰納するような形には、元々ならないような気がします、
  日本は海外の個人主義、自己責任的な社会に対する憧れがあるのだろうけど、それを完備するシステムがあってこそだろうから、結局どの国でも社会問題を自己責任にすることはないのではないかと思いますが。


  まあとにかく、西洋的な社会を目指すならば、やはりまず権利関係、特に個人的権利の強化がいるでしょう、それをまったく逆に自己責任とか馬鹿なことをしたから、日本は途上国に没落しつつあるわけで、個人権利強化のような方向性が、この国の進むべき道であるといえるでしょう。

  そして、日本の問題を考えるに権力の集中による絶対権力による腐敗、という問題が非常に大きくなっていますから、権力分散という観点から見ても、個人権利強化というのが、この国の進むべき道であると思います。

  そもそも民主主義というものは、国家権力が暴走するのを防ぐために、国家権力を国民に分散させるのが趣旨であるわけですから、国民の権利を認めるというところに、本来の目的があるわけで。

  だから日本が民主主義と国家として、成長するためには、個人の権利強化が必要であり、日本が西洋的な社会を作ろうとするためには、まずこれを超えないといけない、

  そして個人の権利が強化され、権力が分散されたときに、日本ははじめて政治的な近代化をむかえるのではないかと思います。
  





    さて、それでは来週も、週一回にしようと思うので、次回は来週の水曜になります、では次回まで。
  (そろそろ戻したいのですけど、どうもしばらくはこんな感じのようです。。)





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