01 月<< 2020年02 月  1234567891011121314151617181920212223242526272829  >>03 月
 

歪としての経済、と、バランスという力、

    どうもこんにちは



  今日でサミットは終わるよですが、なにかバカ騒ぎをしていたんですかね、テレビや新聞を読まない私には、遠い国のお話に過ぎませんが、

  聞いたところによると、温室効果ガスを2050年までに世界中で半減する、とかいうビジョンを共有するという、茶を濁したようなことを言って終わったらしいが、まあそんなもんでしょ


  あとはインフレ問題に対してはたいした論はなかったようで、まああまり中身のない会議だからしかたないが、金の無駄ですよね、

  そもそもこの洞爺湖サミットというのは、自民党かその関係者のホテルがそこにあって、その宣伝のために洞爺湖とでやろうとなったらしいし、そもそもビジョンがホテルの宣伝目的だから、自民党にとっては地球温暖化もインフレもどうでもいいのだろう、ホテルが儲かれば十分なんだろうな。


  こいつらはバカだから人の役にはたたんが、地球温暖化や、インフレについては考える必要はあるでしょう。
  
  地球温暖化は、諸説あってCO2が原因ではないという話もあるが、体感的に言うとやはり中国の経済発展と、異常気象が重なっているのを考えると、関連性がないというのは腑に落ちないところもある。

  確かに大気的に見ると二酸化炭素が問題であるとはいえないらしいが、そうなると異常気象や高温化の問題が説明できないところはあるだろう、

  逆に言うとほかの温暖化の原因といわれているものも、その実証はできてはなく、そうなんじゃないかくらいの話が多い、

  しいていえば今は氷河期と氷河期の間だから、というのが一番説得力があって、地球が暖かくなるところに今いるから、くらいしか説得力のある話はないかな。

  個人的に思っているのは、案外大気の問題ではなくて、地球温暖化は海水の問題なんではないか、という気がするですね、最近の異常気象も海水温が原因のものが多いですから、案外大気じゃなくて海水の問題ではないかという気はします。 
  まあ科学的実証があるわけではないですが、CO2は海水に吸収されやすいと聞いたので、なんかあるような気はするんですけど。



  温暖化というのはちょっとわかりづらい問題のようですが、もうひとつの問題で、最近のインフレ問題、かなり深刻になってきていますが、なんとなくこの二つは重なっている気がしますね、

  今回のサミットが結局意味がなかったのは、インフレ解消をするためには、原油の増産がいるわけだから、結果としてCO2削減が後退する、つまりインフレが解消されると、一般的にいわれているように地球温暖化の原因がCO2だとすると、インフレ解消による地球温暖化が起こるわけです。

  だから玉虫色でどっちつかずで意味がなかったわけですよ、今回のサミットは、いっていることにそもそも矛盾があったから、最初からなんもできなかったんですね。


  
  まあとにかく今回のサミットは、サミット自身は自民党のホテルの宣伝に過ぎなかったので、ほとんど価値はなかったが、今回のことで見えてきた問題は、人類の終末のようなものが表れてきたような気はします、
  インフレは今までのものと違って、人類の必要性の増加に比する、物量の減少によって起きている、異常気象は、やはり人類の必要性の増加に対して、地球が耐えれなくなってきているのが出ているようには見える。

   まあまだチラチラと見えている程度だとは思うのですが、最近はいろんなことが起きていて段々感覚が麻痺してきていますが、冷静に見ると異様なことがおき始めているということは、われわれ人類の未来においても、何か危険な問題が発生しはじめていると見ていいのではないでしょうか、私にはそんな予感があるのですけど。

  



  さて、それはいいとして今日もなぜか二本立てで、まず一つ目として、歪としての経済、ということでも書いてみようかと、昔から書いていることですが、今の日本の最大の問題は、経済による社会問題の激化であり、経済と社会の関係の変化が、この国の大きな問題なわけです。


  今までは経済が社会を良くするという時代でしたが、これからは経済が社会を悪くする時代へと日本は変わって行くでしょう。


  経済は社会上の一要素に過ぎず、経済が社会のすべてであるような、経済の絶対性のような論というものは、基本的には成立しないと思います。
  それが今まで日本に於いて成り立っていたのは、戦後という時代が荒廃していましたから、経済の必要性が非常に高く、経済があまりになかったので、経済重視をしていくだけで世の中が良くなっていくような、そういう特殊な時代だったからなのだと思います。


  しかし今は、ある程度の経済基盤の上で、経済をどうするかと考える時代に入っているので、こういう状況における経済の意味と、今までの経済の意味は大きく変わってくるわけです。

  今までと違う経済の意味としていえるのは、経済の必要性の相対的低下、という問題があり、今までのように経済がすべてである、という世の中ではもうないのです。

  
  経済と社会の関係は、私の考えだと社会という平面上のゆがみが経済であり、社会を安定状態だと考えると、それを不安定にして活力を生んでいる状態が、経済的なものと呼べるのではないかと思います。

  ですから、経済発展は社会を歪ませて成立させているものであり、今おきている社会問題の多くは、経済的な要因から来ているものが殆どであって、経済が社会問題になっていると考えていいと思います。


  例えば少子化も、少子化は経済発展のためには、国民に経済負担をしてもらわないといけないので、その負担の急増が少子化の原因であり、また、中央における一極集中が、生活的な不自由さを生んで、少子化の原因になっている、

  他でも、地方の過疎化は、中央に人を集める経済システムが原因だし、一次産業の衰退も、同じく高付加価値を持たせないといけない、経済活動に原因がある。

  
  経済は社会を歪ませる、そのゆがみが許容範囲であるのならば、それも経済と社会の共存になれるとは思うが、経済発展が進めば経済的なゆがみが、社会問題化し、いずれはその社会問題が経済問題になり、経済と社会の共倒れが起こる。

  今の日本は経済と社会の共倒れの状態にあり、日本の限界の要素としては、過剰な経済進行があるといえる。


  少し前は、市場の万能性を謳う、市場原理主義というものもありましたが、新自由主義も含め、そういう論でいわれるのは、経済のための経済論、そして経済の社会への支配性、 
  経済が社会を支配しているのだから、経済のための経済論のような特化した経済論を言えば、一番正しくなるというのが、そういう論でよく言われていたことなわけです。


  しかし実際のところは、今の日本を見ても分りますが、経済論が成立しても社会の悪化が起こり、その結果として経済衰退が起こるような事が多く、経済が社会を良くするということはあまりおきておらず、結果として経済を重視することが経済悪化の原因にもなっているわけです。


  ですから、経済に対する考え方、経済は社会の歪であるということ、だからその歪が大きくなってきたら、社会的側面から、経済要素を削ってでも、修正を行うほうがよく、社会がおかしくなったら経済もおかしくなるのだから、経済の歪に対する修正は考える必要がある。

  また、経済の歪を、経済で修正しようという、経済のための経済論のようなものは、やり方にもよるだろうが実効性は低く、社会を考えない経済論は今の時代ではあまり役には立たないと考えたほうがいい。


  今の時代は社会から経済を考える経済論が正しく、経済から社会を考える経済論は、社会的ひずみによる経済悪化を考慮しないので、実効性は低いといえる。

  だから今の世の中の経済を考えるならば、まず社会を考えること、経済による社会の歪を考えること、そこから論をまとめていかないと、たぶんまともな論は出てこないのではないかと思います。


    



  さて、それでは次に、バランスという力、ということでも書いてみようかと、 今の世の中を見てみると、方向性の追求による問題解決、という手段はだんだん難しくなってきており、特定の方向性を目指せばうまく行くというような、全体的な流れのようなものがなくりつつあるように思います。

  では、そういう時代において、成立する手法論とは何であるのか、ということを考えてみたので書いてみると。


  それで、バランスという力ということで、もう答えをタイトルに書いてしまっていますが、今の時代において必要な方向性とは、総合的な意味における方向性であり、部分的な意味による方向性ではなくなってきています。

  それはつまり、具体的に同じことを目指すという意味での、方向性というものが成り立たなくなり、結果的に同じものを目指すような、最終結論が合わさってくるような意味における、総合的な方向性というものが、最近は強まってきているわけです。


  ですから、これが正しいからそうすべきと言った時、その結果はその人その場所によって大きくずれるようになってきていて、これが正しいからみんなそうしましょうといっても、その結果がバラバラになってしまう、そういう時代になってきたのではないかと思います。


  そういう状況下においては、全員が同じ事をして違う結果になりやすいですから、最終的な方向性も、望むべき結果も、ある意味バラバラになっていくことを前提に、調整をしなければいけない。

  であるから論は常に総合論であり、部分論は成立しないでしょう、これが正しいから世の中はこうであるべきといっても、多分うまく行かないはず。


  そしてそういう状況における総合論はどうなるか?。私が見るにそれはたぶんバランス論的なものになると思う、 つまり全体がバラバラならば、それをバランス論的にまとめて行く考え方を、重視しなければいけなくなるだろう。

  そしてそのバランス論が、これからの時代に於ける力になるでしょう。


  日本でいえば内政的には、偏った社会問題を修正していけば、かなりの活力が出るのではないだろうか、格差社会をやめるだけでかなりのエネルギーが生まれると思う。

  外交的には、日本外交のバランスを取れば、今の日本外交はデメリットしかない搾取される状態であるから、それをバランスを取ることによってメリットに変えることもできなくはないだろう、

  
  今の日本は単純な力を得て、戦うということができなくなっているので、合力的なバランス力、そういうものを目指さねばいけない、

  そういう状況では方向性は現れず、手法論も特化せず、総合的なバランス論が正しい答えになるだろう。

  今の世の中がおかしいのは、おおむねこの方向性論と、総合性論を履き違えているからであり、分りやすい方向性論を重視し、分りずらい総合性論を軽視しているからうまく行かないのであり、ここまで社会がバラバラに開けている状況で、特定の手法論にこだわりすぎているところに日本の問題がある。


  今の日本では、手法論的な手先の論から、体全体を使うような全体論が必要性としては強まってきている、
  そこで必要なのは、バランス調整の手法論と、バランスをとった後の総合的なデザイン論である。
  
  いわばそれは今までのような単純な方向性を持った、力の理論から、デザイン的要素を持った高次論へと日本が入っているからであり、その形を見出さねばならない。


  後はそれをできるかですが、そのためにはセンスのかけらもない自民党を叩き落す必要があるわけで、こういうことができるのはその後になるでしょう。






    それでは、そろそろ回数を増やしたほうがよさそうですが、まだちょっと分からないので、ひとまずは来週も週一回にしようと思っているので、次回も来週の水曜日になります、では次回まで。







関連記事




  • このエントリーのカテゴリ : 未分類

コメント



 編集・削除ができます。
 管理者にだけ表示を許可する
 
 

文字を大きく・小さく

     

    プロフィール

    ryuuguunotukai2

    Author:ryuuguunotukai2
    政治などの記事を書いています、少しでもいい世の中になればと思いつつ全然ならないですね、まったく。

     

    カレンダー


     

    黒ねこ時計 くろック E01

     

    最新の記事(全記事表示付き) *frame*

     

    検索フォーム

     

    カテゴリーメニュー

     

    月別アーカイブ(タブ)

     

    全記事表示リンク

     

    天気予報


    -天気予報コム- -FC2-
     
     

    アマゾンの本、

     

    PR

     

    PR

     

    PR

     

    PR

     

    里親探し

     

    PR

     
     
     

    本の紹介、

     

    楽天のお菓子、

     

    お茶とコーヒー、

     

    PR