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外から見た教育、

    どうもこんにちは


  
  少し前にイージス艦と漁船がぶつかった事件は、政府与党としては何とかうやむやにしようと、あれこれ画策をしているようですね、

  自民党の福田という人物まで、その被害にあった漁船の親族の方のところに来たらしく、自民党は誤魔化せれば後はどうでもいいと考えているようです。


  今回の事件は考えてみると、確かに誤魔化してばかりというのは感じますね、この話は最初から最後までおかしい所が多い、 

  例えば、まずどういう事故だったのかもわからない、前回も書きましたが漁船とイージス艦のぶつかり具合からして、ぶつかった衝撃で亡くなられた可能性が高い、漁船に乗っていた人は最後まで回避行動をしていたのだから、当然操舵室辺りにいたことになる、つまり船の中央部にいた以上、海に投げ出されたのではなく、イージス艦と魚船に挟まれて亡くなったと考えるのが妥当ではないか、


  それをいつまでも行方不明というのは変だろう、作為的に行っているとしか思えない、自衛隊や自民党の連中は最初から漁師の方が亡くなっているのを確認しているのではないか?、

  そもそも事故が起きた状況を見るに、もしその二人の漁師の方が海に投げ出されたとしても、慣性の法則が働くから、投げ出されるのはイージス艦の方へである、となればその二人がどうなったのか自衛隊の人は知らなければおかしいだろうし、そのときイージス艦は減速をしていたのだから、ロープかなんかを使って助けようとすれば簡単に助けれたはずだ、


  それがわざわざ救命ボートを出して調べているのだから、その漁師の方はイージス艦と漁船に挟まれたと考えるしかないだろう、そして救命ボートを出したのは、人を助けるためではなく、何らかの証拠隠滅の為のようには見えてしまう。


  なんというかな、この問題はボタンの賭け違いとでもいうべきか、最初になにか嘘があるんだね、大きな嘘が、だからそのあとがぐちゃぐちゃになって、騙したり、誤魔化したりするしか手がないんだ、今の政府与党はこの問題に対して、誤魔化すことしか考えていない、その原因はこの事件の根本的な物事に対して、なにか嘘をついているからなのだろう。


  漁師の御二人の方は、残念ながら何が原因であるかはわからないが、亡くなられたとみるしかないだろうけど、やはりこれも自民党、公明党が長年進めてきた、日本を軍事独裁的に支配するという流れのひずみ、それが表れたと見るしかないだろう、

  だからこういう人殺しどもには、罰を下すしかない、始末するしかない、まあそういう状況ではあるのでしょうけど。





  さて、それはいいとして今日は、外から見た教育、ということでも書いてみようかと、私が思うにこの国がおかしくなった理由は、その原因に教育の問題というものがあるような気がします。 昔も書きましたが日本の教育というものは具体性がないのですね、なぜその教育がいるのか?、という点に対してちゃんとした考えを持っていない、ただ教育だから正しい、それしか考えがない。

  ではなぜそういう形になっているのだろうか、と考えたときに、それは日本人は教育というものを、外からしか見ていないからなのではないか、と思ったので書いてみると、


  それで外から見た教育ということで、なんとなく多くの方が日本の教育がおかしいんじゃないか、もしくは意味がないのではないか、そう思っている方が多いように思うのです、 まああまり表向きには言わないようですけど。

  私が日本の教育に対して思うのは、日本の教育は儀式に近いもので、例えば大学も大学という教育というよりは、大学という儀式と考えた方が納得しやすい、  


  日本の教育というのは、ほとんど意味が問われることはなく、通過儀礼のようなところが強いように思うのですね、それ自体に意味や価値があるのではなく、儀式を通過したという点において最大の意味を持つ、それ以外はおまけでどうでもいいというか、 

  例えば受験とか、あれなんか完全に儀式でしょ、通過儀礼的なものだから、それに意味がないというわけではないが、トータルで見ると教育という全体的なものに対して、そういう部分的な一点で物事を決めてしまっているのは、やはり日本の教育が教育というよりは、儀式的なものであるからといえるのではないでしょうか、


  そしてそのあたりのことをあれこれ考えてみると、私には日本の教育というものは、実は宗教なのではないか、そんな気がしてしまうのです、 

  ちょっと考えてもらえば分かるのですが、宗教と日本の教育は非常によく似ている、 

  まず権威主義である、日本の教育制度は権威があるということを最大限に重要視するが、それ以外はそれほどではない、宗教もそんなところがありますよね、

  次に、儀式主義であり、儀式のためにそれ以外があるという考えが強い事、例えば日本の教育は受験のためにはあるが、それ以外の意味はあまりない、つまり受験という儀式のためにそれ以外があるという点において、宗教と日本の教育はそっくりである。

  他だと、やたらと金を取るところかな、これは一概に言えないけど、霊感商法をしているカルト教団のような教育機関て結構ありますからね、  こういうところを見てみると、どうも日本の教育機関の持っている性質は、実は教育ではなく宗教なのではないかと思ってしまいます。


  ではその宗教的な日本の教育制度が、この国にどういう影響を与えたかというと、日本の教育は宗教ですから、いい大学いい人生的なことを言って、そのくせ日本の教育制度はそれほど中身はなかったから、結果として世の中を悪化させて歪ませただけで、ほとんど意味はなかったように感じます。


  まあなんだかタイトルから話がずれて、いつの間にか日本の教育制度の宗教性みたいな話になっていますが、なんですかね、日本人は教育というものに対して、何かを理解していないんだと思うのですよ、だから日本の教育は表層化して、意味がほとんどないのに権威だけどんどん大きくなって、いつの間にか宗教的になってしまったように思うのです、

  確かに学ぶことは正しく良いものですけど、その正当性を信じすぎで過剰に思えば、それは悪になるでしょう、私は日本の教育制度はこの国を悪くしている諸悪の根源だと思っています、

  日本は教育だから正しい、たぶんその程度の考えでしか教育というものを捉えていないと思うのですね、そういう意味で言うと日本人は教育というものをまったく信じていないのかもしれませんが、 まあとにかく日本の衰退の原因は、間違いなく日本の教育制度の脆弱さにあるといえるでしょう、


  そして、日本の教育制度はなんか変な宗教のようになって、人々から搾取するだけの存在になってしまった、これじゃカルト教団に支配された国ですよね、それじゃうまく行かないだろう。


  だからここで発想の転換をして、日本人はこれから教育の価値を認め、それを根底から積み上げなおす必要がある、戦後の教育は宗教的であるので、この形とは決別する必要がある、 それは今までのように外面的な教育から、内面的な教育への転化、戦後的な教育の宗教性を排除し、近代的な合理的教育制度を作り出せるかという問題になるだろう、日本の教育は西洋で言うのならば、中世の神学の教育に近いところがある、まだ近代教育とはいえまい、


  そしてそれをするためには、外から見る教育の視点を排除し、教育の価値を外部から与えないようにして、その上で内部の拡充によって、内から見た教育の視点を強くしていく、そうすることによって日本の教育を宗教から、実学的なものへと変えていく、 
   
  まあそういう形というものを目指してみればうまく行くのではないかと思ったので、ちょっと書いてみたのですけど。






    それでは今は週二回ですので、次回は木曜になります、では次回まで。






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