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プロパガンダという病、と、独裁としての新自由主義、

    どうもこんにちは



  
  昨日ニュースを見ていたら、C型肝炎の原告団が昨日ですから今日までに患者に対する全面協力をしなければ、上告するというようなことを訴えていたようで、そうかそんなに困っていたのかと思ったのですけど、


  C型肝炎もどうやら薬害エイズと同じで、金のにおいがしますが、調べたところだと1969年から1994年までに手術を受けた方は、感染している可能性があるようです、まあ手術の種類によるのだろうけど、これって国民にとっては死活問題ですよね、手術くらいなら良くあるわけだから、



  それでこれを与党は逃げてるんだろ?、人殺しだねこいつら、やっていいことと悪いことすら分からないのか、ひどい連中もいたもんだなと思いましたが。


 


  さて、それはいいとして今日は、プロパガンダという病、ということでも書いてみようかと、ほんとは書く予定はなかったのですけど、なんだか書く必要があるのかなと思って、


  少し前に私は共産党批判をしたのですけど、私が言いたかったのは共産党ではなく、共産党がプロパガンダ的な動きをしたこと、これが気になったので批判的に書いたのですが、



  基本的に私は政治論というものは別に持っておらず、政治というものはその場にあっていればなんでも良いと思っています、ただし一つ条件があるのがプロパガンダをしないということ、これを守れないところは認めないというのが私のスタンスです。



  だから自民党が嫌いなんだけど、まあそれは置いといて、主題に入りますと、プロパガンダという病、この言葉の意味というのは、今の時代というものはグローバル経済という国家を超えた力が存在し、それを軸に社会が動いており、結局その経済との関係においてどう生きるかということが、多くの場合において言えることなわけです。



  そしてグローバル経済と国家の関係を見たときに、グローバル経済としては立場が強いですから何とかして、国家に介入したいと思うでしょう、しかし経済は経済にすぎませんから、それが直接政治介入することはできない、


  ではどうするか?、 ここでプロパガンダというものが出てくる、 プロパガンダというとナチスとかそういう政治的なもので、商業的なものとはあまり関係ないと思われているとおもいますが、しかし商業というものはプロパガンダを多用しているものであって、この点において政治と商業というものには共通項というものがあるわけです。



  それはなにかというとマーケティングとか広告とかですね、このあたりは事実上政治的にはプロパガンダとほぼ同じものであり、多分ちょっと工夫をすれば商業的なものがプロパガンダを駆使して政治介入をすることは可能だと思います。

  実際イタリアのトップの人はそういう手を使ってのし上がったらしいですが、やはりその裏にはグローバル経済という国家の力を超えたものの影響というものがあるのだと思います。



  だから政治的にプロパガンダを認めてしまうということは、商業の政治介入を認めしまうこととなり、もしそういうことを認めてしまえば政治の崩壊と、国民生活の破壊が起こる、


  これが今日本で起きていることで、新自由主義とはいうがその下敷きになっているものは、たぶん政治論とは関係ない、政治とは関係ないものが原資となって介入活動をしている可能性が高いと思う、(だから新自由主義という政治論が問題と考えるとちょっとずれるんですけど。)



  そしてそういう商業の政治介入を防ぐには、何よりプロパガンダを認めないことが重要である、プロパガンダさえ認めなければ商業は介入できない、 そして商業がプロパガンダ的に介入した国家状態は、明らかな病であり、それはプロパガンダという病といっていいだろう。



  まあとにかく全体としていえるのは、今の世の中は冷戦構造を基にした、イデオロギー的世界観ではなく、グローバル経済と国家の対立を軸とした、商業と国家の対立的世界観で動いている、そういう状況では国家概念的な、政治論的な右翼左翼的イデオロギー論では、状況を読みきれずいいように商業のカモにされるだろう、政治だから政治論で完結しているという考え方は、今は捨てたほうが良い、



  今は商業と政治の対立という2大軸的な論で世の中が動いている、そして商業と政治に自主性を持たせるためには、その各々が独立し、独自性を持つことが大事である、だから商業の政治介入をいかに防ぎつつ、グローバル経済という非常に大きなものとどう付き合うかが最大の焦点である、


  だから今の世の中においては、政治論的には何より商業の政治介入であるプロパガンダを防ぐことが大事であり、そういう手段を講じることが最終的な結果を生みやすい状態なのではないかと思います。


  よって、国民としてはプロパガンダに対する免疫、そして対処を備え、プロパガンダを抑える必要があるわけですが、だからプロパガンダに対処する専門家みたいな人がいると楽なんですけど、まあとにかく、プロパガンダ対策というものを国民の側から、何か方法を考えておいた方がいい時期には来ているような気がします。


 


 


    
  さて、それでは二つ目として(ほんとはこれだけだったんですけど)、独裁としての新自由主義、ということでも書いてみようかと、最近は新自由主義に対して否定的な見方が増えてきていますが、その大きな理由が格差等の社会的な不公平から来ているようで、その格差などの問題を本質的に考えていくと、新自由主義とは本質的には独裁の一形態ではないか、と思えたので書いてみると。



  それで独裁としての新自由主義ということで、最近の日本の政治を見てみると実質独裁ですよね、まあまだそれほどではないけど目指しているのは明らかに独裁なのは間違いはないでしょう、しかし本来今の政府のやっているのは新自由主義という、自由主義なのだから独裁になるのはおかしいですよね、自由なんだから。




  そうなってくると新自由主義といいながら実質的には、自由ではないものを目指しているわけで、これは共産主義が平等といいながら北朝鮮とかを見ればわかるように非常に大きな格差社会になって独裁国家になっているのと同じで、私には新自由主義はそれそういうものを目指しているように見えるんです。




  つまり非常に大きな格差と独裁を目指すのが新自由主義であるということ、新自由主義の自由とは自由のための自由という、目的の自己現実化のような入れ子構造があって、共産主義が平等のための平等のようなそういう考えを持っていたのと似ているように思えます。


  共産主義国家では平等を目指せば方法は問わず、意味や結果も問わない、そういう平等であれば後はどうでもいいようなものを目指し、結果としてそれが非現実的な奇妙な世界を作り、結果崩壊したわけですね。



  それは新自由主義も同じで、自由であれば方法は問わず、意味や結果も問わない、それが新自由主義ですから、 だから私は昔、新自由主義は共産主義とよく似た極論的手法であると書いたのですが、たぶん共産主義と本質的に同じならば、結果として非現実的な奇妙な世界を同じように作って、崩壊するしかないのでしょう。




  そして共産主義といえば独裁的であることが多いですが、それは新自由主義も同じだと思います、結局権力のピラミッド構造を作れば王制であれファシズムであれ民主主義であれ独裁になります、昔は独裁といわなかったのは技術的に人を縛り付けるのが難しくて、どこか緩やかだったからでしょう、しかし近代になってプロパガンダ等人を支配する手法が確立されてくると、だいたい権力のピラミッド構造をとると独裁になります。



  新自由主義の独裁構造は、金と市場を基準にした権力構造であり、金と市場が本質的に不公平であることを隠して、自由で平等といいます、このあたりなんか昔のソ連そっくりですけど、共産主義に比べると悪質で、陰険ですね。



  ただまあ新自由主義というのは、独裁というよりは植民地主義的なところもありますけど、とにかく、私の見た感じだと新自由主義というのは、共産主義に比べると軍事的ではないので、ソフトではありますが独裁を目指すものであることは変わりなく。


  少なくとも今日本で起きている新自由主義の動きは、独裁を目指していると考えてそう間違っていないと思います、近代以降は権力が集まってしまえばだいたい独裁になるので。



  よってこれは破棄すべきでしょう、やはり近代以降というものは今までの歴史とは違って、大衆を騙す手法が発達していますから、偏った政治手法=独裁になってしまうのでしょう。  新自由主義は古典的な中世のころの世界観を持った理論だとは聞いたことがありますが、それが近代では独裁になってしまうということなのでしょう、



  共産主義も考えはそんなに悪くはないんだけど、これも近代以降に出てしまったから結局は独裁の手法にしかなれなかった、新自由主義もたぶん同じでしょう、これも近代以降では使えない手法なのかもしれません、


  ま、とにかく今の時代は色々と人間に制約をかそうとすればできる方法論が確立されてしまっているので、どんな論であれ極論はだめなのでしょう、そういう意味では生まれて、死ぬしかなかった新自由主義が何のためにあるのかわからないのだが、たぶん特殊な状況ではこの方法が正しいときがあるのだろう、そういう薬のような手段ではないかな、



  だから新自由主義を普通にやるとだいたい独裁を目指してしまってうまく行かない、まあ独裁といってもソフトにですが、ソフトであっても独裁ではあるのだから、これは否定するしかないでしょう、多分新自由主義というのは普通は使えないもので、一般的には否定すべきものなのでしょう、だから今の日本にとっては新自由主義は捨てるしかないのではないかな、私の見たところ日本にとっては毒にしかなってないわけだから、別のもっとバランスを取れそうな方法を探すしかないのではないだろうか。


 


 


    それでは今は週一回ですので、次回は来週の水曜になります、では次回まで。


 


 


 


 

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