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民主党の必要性、と、商業は国を滅ぼす、

    どうもこんにちは




  最近初音ミクというDTMソフト(音楽作成ソフト)のことを知って、面白そうなので色々調べていたのですが、結構すごいことになっているようですね、このソフトは人間の音声を使って歌声を作成できるソフトで、聴いてみると結構なレベルで歌えるようです、 代表的な歌は『Packaged』あたりかな、まあ2ちゃんねるで火がついたものなので、妙な方向性に引っ張られてはいるようですけど。



  それでこれだけの技術がなぜ急に出てきたのか、疑問を持ったので調べてみたのですけど、最近のDTM、DTMってのは私もあまり詳しくはないのですけど、パソコンで音楽を作るソフトや機材のことをさすことばで、その辺りのものが近年大きく変わってきたことが、このソフトが生まれた土壌にどうもあるようです。



  昔パソコンで音楽を作るとなると、音符を一つ一つ指定して作っていくのが普通でしたが、最近のDTMではある程度のフレーズが最初からあって、それを加工してつなげて作るような形が強くなってきていて、昔のようにいちいち音符を指定したりしなくても良いようです、そしてもうひとつの変化が、昔は機械で音を再生していましたが、最近は実際の楽器で音をとってそれを利用するようになってきていて、音質的に殆ど実際の楽器と変わらなくなってきているらしいのですね。



  そしてそれを音声に応用すれば、歌声も作ることができますよね、まあ作ったメーカーは昔から人工的な音声を作る技術の研究をしていたメーカーらしいですが、それと今の状況が合わさってこのソフトは生まれたのでしょう、


  ただ方向性としてかなりアニメよりなので、どうなるか分かりませんけど、まあ面白そうなソフトではあるように思います。


 


 


  さて、それはいいとして今日はなぜか二本立てで、そんな予定はなかったのですけど色々な事情が重なったもので、まず一つ目として民主党の必要性、ということでも書いてみようかと。


  多くの政治論を見ると、民主党論というものが殆どない、つまり民主党とはなにかということを論じている人物、そして論議というものは私の知る限りでは殆どない、 政治論とは基本的に右翼であるとか左翼であるとかそういう考えをもとに行うことが多く、そうなると政治論的には民主党という組織に対して社会党的な像を合わせようとするか、自民党的な像を合わせようとするか、のどちらかの論しか発生しない、


  しかしではその論によって民主党という組織が解明できるかといえば、全くできていない、ではそれはなぜなのだろうと考えたので書いてみると。




  それで民主党の必要性ということで、民主党は存在している以上何らかの意味、そして必要性をもとに存在していると見ていい、確かに今までの歴史には存在していなかったが、現実的にいるのだからなんらかの意味はあるのだろう、そしてそれは今までの政治論からはなれたところから考えないと分からないものなのだろう、



  では民主党とはなにか、そう考えてみると見えてくるのが、イデオロギー的な中立をもった組織、私にはそう見えます、つまり民主党は左翼でも右翼でもない、イデオロギー的に中立な組織、もっと言えば反イデオロギー組織そういう風に見えます。



  今の民主党は昔の社会党と自民党を出た人や、民社党等々の小さい政党が集まった組織て、そもそも統一的な意味を持って作られた組織ではなく、寄り合い所帯なわけですね、そうなるとどうなるかというとイデオロギー的な統一的主張というものは殆どできなくなるわけです、つまりイデオロギー的な方向性をもてない組織といえると思います。



  また他の面でも昔の社会党はあまり意味のある組織ではなかった、例えば韓国が存在しないとかそういうことを言っていたし、具体的な政策を持っていなかったので、国民の目からすると社会党という組織は、野党としては良くても与党としてはほとんど評価されていなかった、だから民主党としては社会党のように見られるのを嫌い、その上で自民党と対立しないといけないという難題とぶつかり、結果として中性的な方向性、つまり反イデオロギー的な考え方、方向性を見出したように見える。



  民主党の方向性はイデオロギーの中立、つまり反イデオロギーを主体とする政党であり、民主党はイデオロギー的にゆれることはあっても、傾くことはない、そういう組織なのだと思う。



  私はこの現象をイデオロギーの振り子の現象と呼んでいるが、民主党は自らの体内にイデオロギーを取り込むことによって、イデオロギーバランスによって党としてのバランスをとるようになっているように見える、例えば昔の前原代表が辞任したときも、私は堀江メール問題よりもこのイデオロギーの振り子に潰されたのではないかと思っている、また今回の小沢氏の騒動に対しても静観していたのは、このイデオロギーの振り子を小沢氏がどうにかすることはできず、問題が起こることはないだろうと読んでいたからなのですが。



  バランスという点でみると、昔の自民党は派閥によってバランスをとっていた、それが結果として自民党をイデオロギーから遠いものにしていたが、派閥が解消されたのか、もしくは機能しなくなったのか、自民党は完全なイデオロギー政党になり、イデオロギー的視点にあった政策しかしなくなった、それが問題を生んでいるのは多くの方がご存知のはず、



  つまりこの意味はイデオロギー的な考えとは、政治的な問題にしかならないということをあらわしているのだと思う、自民党はイデオロギーを持つことによって劣化した、社会党もイデオロギーを持っていたので現実路線を取れなかった、そうなるとイデオロギーを持たないことこそ実は政治的には必要なことともいえる。



  そしてここで民主党の必要性がわかってくると思う、それは民主党がイデオロギーを持っていないので、政党がイデオロギーを持ったときに生まれる弊害から離れていることにあるのだと思う、 例えばイデオロギーがあれば政策等はほとんど考えなくてすむ、それは政策はイデオロギー的に考えればよく、現実的に考える必要が減るからだ、そしてなにかあればイデオロギーを逃げ道にして逃げればよい、



  私はイデオロギーは政治の劣化現象のように思うときがある、すべてが悪いわけではないが、少なくとも中心に立つためにはイデオロギーを否定する何らかの装置を持つ必要が政党には求められているとは思う、


  上の例を見ても分かるが、イデオロギーは政治的判断を制約し、また失敗したときの逃げ道まで作ってしまう、これではイデオロギーに現実的なメリットはないだろう、  そして今の日本の状況を見ると、財政問題、医療や社会補償問題、外交問題、地方分権問題等、ほとんど問題だらけの状態だ、ここでイデオロギー政党が出たら独裁に走るか、国を滅ぼすかどっちにしかなるまい(実際なってますけど)、



  今の日本に求められている問題の解決は、精緻かつ大胆な判断と行動を求められるものである、よってこんな複雑な問題にイデオロギーを持ち込むことは許されないだろう、イデオロギーもすべてにおいて悪いわけではないが、少なくとももう少し国が安定するまでは使うことはできないと思う、イデオロギーの時代はまだ早い、今の状態でイデオロギー的に動くのは危険である。



  まあとにかく全体としていえるのは、民主党はイデオロギー的な中立を保っている政党であり、中立的であり合理的な判断をする条件を持っている組織ではあると思う、もちろん必ずそうなるか分からないが、少なくともマニフェスト等を見る限り一番国民にとって意味のあることを見ているのは事実だ、それはやはりイデオロギーを持たないため、他の政党に比べて判断が鋭いところがあるのだろう。  



  そしてこの国の問題はかなり危険な問題になってきている、そしてそれを解決するためには鋭い判断力が必要であり、そしてそれができそうなのは民主党だけになるだろう、自民党のような新自由主義的イデオロギー政党では、自らの考えが間違っていたときの修正ができず、例えば今のような新自由主義の行き詰まりにきてしまうと何もできなくなってしまう、その点イデオロギーのない政党ならばそういうことはない。



  もちろん民主党も問題はあるだろうし、将来的には民主党を否定する日も来るだろう、しかし今の問題を解決するためには、他に選択肢がないのも事実であり、自民党がただのイデオロギー政党に落ちた現在では、民主党以外は選びようがないといえる。



  あとはよくいわれる政界再編というものがいつごろ起こるかですか、そしてそれがどのような形になるかですかね、その結果によってはこの考えを捨てる必要の出てくるだろうけど、ひとまず今は民主党支持をしておけば間違わないと思う、だから大きな変化がおきない限りは民主党は必要性があり、ひとまずは民主党でいいのではないかと思えます。


 


 



  さて、それで二つ目として、商業は国を滅ぼす、ということでも書いてみようかと、昔も似たような事を書いたような気がするのですけど、まあ書いてみると、 商業的な方向性というもの、それを今まではただ肯定していればよかったわけですが、しかし今の状況を見ると商業の弊害のほうが大きく、単純にいえば今の商業は害であるといってもいい状態がある。


  ではなぜそういう形が起きるのか、そしてそれが国家に与える影響というものについても考えてみたので書いてみると。




  それで商業は国を滅ぼすということで、前々回政商分離ということを書きましたが、その話とも関連しますけど、結局物事というものは最終的にはバランスというものしか問われておらず、方向性はそのための補正的なものと考えたとき、商業という方向性もバランスを取るための一手法と捉えることができると思います。



  まあそう考えた場合にですが、見えてくるのが商業の流動性の過剰化がどうなるだろうかということで、川にたとえると、川に流れがあるのはよくても、過剰な流れは被害を生みやすいわけで、商業というものは流れのような性質の強いものですから、もしこれが川の流れのように過剰化した場合、これも同じく被害を生みやすいものになるでしょう。


 


  そして流動性を究極的に持った商業は、被害しか生まないものになるはず、バブルがいい例だがあれは結局被害しか生まなかった、 


  そしてそれが国家に対してどのような影響を与えるかというと、国家の無形化の様なことを起こすはず、つまり国家の形がなくなるようなことをするはず、 


  それが結果としてどういう意味を持つかというと、国家は滅ぶだろう、概念的な意味を失い、国家のない世界が生まれるはず、




  それはどんな世界であろうか?、間違いなく破滅的な世界ですね、核戦争後の世界に近いもになるでしょう、人が生きることはほとんど不可能になり、たぶん戦争が起こってまた国家ができるのではないかな。



  結局すべては必要性が存在を持つものであり、人為的な正当性から意味を持っているわけではなく、非人為的な原因から人の持つものであっても生まれているのである、よって、人の欲望によって商業を過剰化すると、何からの修正が起き多分それはかなり悲惨なものになるだろう。



  しかし同時に今の世の中では自然に商業の過剰化が起きている、が、それを単純に認めれば国家は消滅し、反動でかなり危険なことが起きるだろう、今の世の中で国家がなければ力が強いだけのルールのない世界ができてしまう、当然それは核戦争に匹敵する問題を生み、へたをすればい人類は滅ぶだろう。




  私がこのあたりのことを見て思うのは、宇宙と地球の狭間、つまり宇宙で人が住むために何か生みの苦しみ、もしくは誕生の二重状態、例えるならお腹に赤ちゃんのいる女性のような状態、そういう形を持っているように見える、


  つまり、今起きている商業の過剰化とは宇宙に住むには必要であっても、地球上では危険な行為、そういうことがダブって現れているのではないかと思う、だからこのことについても単純論は成立してない、




  国家とは土地に依存するものである、だから宇宙へ行ってしまうと国家はいずれ希薄化するだろう、そうなってくれば商業的なものが国家の代わりになるはずだ、だから過剰な商業化も宇宙においては正しい、しかし、


  これが地球上だとそうは行かない、まず地球では国家は必要であり土地がある限り消えることはない、そして地球上の商業は基本的に国家的な意味は考えて動かない、それは国家がある限り考える必要がないから、だから地球上における商業の完全性は成立しないが、これがもし宇宙に行って国家がなくなったら、商業が国家的な意味を考えるようになり、宇宙における商業の完全性はある程度はあるだろう、そして宇宙においてある程度、商業的土台が固まればまた商業と国家が宇宙で別れていくだろう、




  人類の歴史的に見ても最初は国家ではなく、商業が土台にあった、商業が固まってくるとそれが国家になって、固まった国家ら商業が分離して分かれた、だからもし今の商業の過剰化が宇宙への土台であるのならば、確かに間違ってはいないのかもしれない。



  しかし、この二重基準、地球上では商業の過剰化はできないが、宇宙へはその土台として必要である、という二つの意味、ここら辺がややこしいですね、まああくまでもこれは私の想像に過ぎませんけど、結構ありうると思うのです、色々見ると。



 


  なんだか話がずいぶんずれているようですが、う?んどうしてもあと100年もすれば人類が宇宙に住み始めるわけだから、今起きている変化に対してそういうことを含めて考えてしまうのですけど、まあとにかく、今起きている過剰な商業化は、前々回も書きましたが国家の消滅のような意味を持ち、それを単純に認めれば人類の未来は閉ざされるでしょう、そもそも地球には国家という土台があるので、商業の必要性は下がっており、新しいものを生む商業は地球という飽和状態から見れば明らかな悪といえる、



  が、確かに宇宙においては先進的な商業というものも悪くはない、しかしそれを地球上でやってしまうことに問題がある、だから今の状態での過剰な商業化は抑えたほうがいい、たぶんまだその時ではないのだと思う。



  あとから見ると意味のあることというものがあって、考えてみると過剰な商業化も後から見ると意味があるのかもしれない、しかし今の状態において、少なくともこの地球上においては過剰な商業化は必要がない、だからこれは否定していい、今は我慢のしどきだと思う、ここで何かぐぐっとためないと、次に何か起きることがかなり危険になるような気がする、



  だからたとえ過剰な商業化が必要のあるものであっても、今必要なものではなく、また可能性的に見てこれは地球で要るものではないと思うので、将来の必要に備えておくべきものであり、必要なものだが中心に置くべきものではないことを考え、過剰化する商業の取り扱いと、それが国家に被害を与えないように隔離する必要とを両立し、商業の過剰化が国家を滅ぼし、人類に致命的な被害を与えないように、コントロールしていく必要があるのではないだろうかと思う、


 


 


 


    それでは今は週二回ですので、次回は木曜になります、では次回まで。


 


 


 


 



 

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