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市場経済と市民経済、と、経済は人を救わない、

    どうもこんにちは





  最近の世論調査等を見る限り、今の政府与党の体制は事実上終わったようですね、まあまだ止めをさせているかは分からないのですが、ある程度はましな状況にはなってきたようです、 それで、その状況を作った消えた年金問題についてですが、色々調べていくとなんだか妙な部分があるように見えました、 それは何かというと、消えた年金とは言われていますが、実は消した年金である可能性もあるのではないかなという風に思えました。




  何でそう思ったかというと、まず日本の年金制度の問題から説明する必要があるのですが、日本の年金制度というのは実は破綻していて、確か今の状態で800兆くらい収支が合っていないといわれています、まあそれは何十年分をあわせるとそうなっているというわけで、急にそれだけのお金がいるわけではないにしろ、事実上破綻しているのはこの金額から見てもはっきりしていることだと思います。



  ではなぜ破綻したかというと、そもそも日本の年金制度は相互扶助の制度であり、若い人が年をとった人を支える制度であって、若い人が多くなければ成り立たないわけです、この制度が作られたのは確か戦前か戦後直後があたりで、そのころは若い人が多く、また、平均寿命が50歳くらいでそれで年金の給付が55歳あたりからだったらしいので、年金をもらう人も期間もかなり少なかったのですね、だから昔は成り立っていたのですが、 それが現在においては、若い人より年をとった人のほうが増えてきて、また年金をもらう人や期間が長くなってきたため、この相互扶助的な制度では年金制度の維持ができなくなってきているわけです、



  例えば、2000年くらいに生まれた子供だと今の年金制度だと、払った分の三分の二しかもらえず、三分の一は持ってかれるような制度になっているらしく、これじゃあ年金制度の意味がないですよね、 だからこういう問題を解決するために十数年が二十年位前かな、昔新聞で読んだのでいつごろだったかははっきりしないのですけど、結構前の段階で、年金の需給の見直しというのを役人が提示して、それを自民党を握りつぶしたということがあったらしく、それが年金制度が大きく収支が合っていない原因のようです。



  ただまあ収支を合わせるだけでは年金制度を変えることはできないので、これが年金制度の問題のすべてというわけではないのですが、しかし、この収支のあっていない問題と、今回の消えた年金問題ってリンクしていませんか?、つまり収支があってないから年金を消す必要があったと見れなくもない、 今回の消えた年金問題をやった中心人物の役人は、薬害の問題でも中心人物だったらしい、そして、さきがけのころ厚生大臣だった菅氏は、薬害エイズ問題でヒーローになった反面、その嫉妬をかって更迭されその後に来たのが、小泉というおなじみの人物であり、またその薬害の中心人物の役人は罰を受けず、その後消えた年金問題でも主犯的な役割を行ったようです。、



  そして小泉とその消えた年金の主犯の役人が非常に仲がよく、どうもこのあたりでなにかあったような、はっきり言えば、こいつらが消えた年金ならぬ、消した年金をやったように私には見えるのですね。 証拠はないのですけどそう考えるとぴたっと成り立つ事実が一つあって、これはほかのブログの人が指摘していたのですが、昔あった年金未納問題と、この消えた年金問題はリンクしていないか?、ということで、例えば民主党の菅氏の場合年金は払っていたのに、役所のミスで消えていたわけです、またほかでもそういう話が多く、偶然にしては話がおかしすぎる、つまり小泉という人物はこの問題の主犯であり、その消えた年金問題を利用して年金未納問題を起こしていた可能性があるのではないか?、まあそんな気がなんとなくするのです。



  あくまでそんな気がするというだけで、証拠があるわけではないのですが、ただなんにしろ今の政府与党は年金問題に対して何か深い闇を隠しているのは、色々な情報から見て間違いがないので、年金をもらいたかったら政権交代をするしかないのは明確は事実のようです、私の見た感じ政権交代をしなかったらまず年金はもらえなくなると思えるので。


 



  さて、それはいいとして今日はまたなぜか二本立てで、なんだか長くてすまないのですけど、市場経済と市民経済、ということでも書いてみようかと、最近は経済は市場に任せるべきだ、という意見が多く聞かれますが、しかしそういう市場任せの経済運営というものは、どういうわけか一般市民にとってはメリットがなく、殆どの場合問題にしかならない。 その点、経済的にうまく行くといわれている制度、考え方が、なぜか具体的に見たときには非常に大きな問題になってしまう、このギャップというものはどこからくるのだろうと考えてみたので書いてみようかと。




  それで、市場経済と市民経済ということで、まあ市場経済というものは金融等の流動性の高いところを軸として、その軸の周りに回っていくような経済であり、グローバルな経済環境においては非常に力が強く、経済の活性のためには効果があるといわれている方法です、それに対し市民経済というのは、これは私が勝手に作った言葉なのですが、これは市場的な流動性を軸にした経済ではなく、地に足の着いた、生産消費というものを軸とした経済、生活に必要な部分が経済として現れている、そういう部分は市民にとって必要な経済ですので、まあそういう経済を市民経済と呼んでみたのですが。



  そしてその市民経済と市場経済というもの、最初のほうでも書きましたが、市場経済は市民の生活を破壊しやすいものである、だが経済としての力は強い、それに対し市民経済というものは、必要物資の補完のような経済は、市民の生活を良くするが、市場経済ほどのインパクトはない、そしてこの二つが合わさって今の経済の状況というものがあるのだと思います。



  それでこの二つの経済の関係を考えたとき、これは聞いた話のですが、金融的な虚構的な経済と、生産消費による実際の経済との差は、金融的な経済のほうが生産消費的な経済の3?4倍あるらしいのですね、そのことをあれこれ考えていて一つ思いついたのは、これは地球の形に似ているなという風に思えました。 どんな風に思ったかというと地球の海と陸の関係によく似ているなという気がしました、 地球の陸と海に比率は確か、陸が三割で海が七割ぐらいだったかな、確かそんなくらいの割合だったと思うのですけど、その比率とこの虚構的な金融経済と、実際的な経済との比率はよく似ているなと思いました。




  それがどんな意味なのかなと思ったときに、なんとなくイメージしたのが、経済が地球自体の意味に近づいたのかなというイメージを持ちました、つまりグローバル経済というものは、地球経済なわけで、経済が地球中に張り巡らされることによって、経済自体が地球に似てしまったのかなと思ったのですが。 まあこの考え方は私の想像に過ぎませんけど、こう考えてみると実は市場経済と市民経済の関係がなぜかよくわかるのです。

  どうわかるのかというと、つまり市場経済を海、市民経済を陸と考えると、人間は海では生きれませんが、陸なら生きることができる、しかし、全体の大きさからすれば絶対的に海のほうが大きい、この形がそっくりなんですね、市場経済と市民経済の関係は。 




  だから、市場経済と市民経済というものを考えるとき、海と陸という風に考えてみたらどうかなと思うのです、陸(市民経済)は小さいけど陸を主体に人間は生きなければならない、海(市場経済)は大きいけど人が生きることはできないので、海と陸の間には堤防のような境界がいる、それがなければ陸は水没し人々は死んでしまう、人間が生きるのに必要なのは陸であって海ではない、だから海(市場経済)を主体とする考え方は人間には成立しない、この海と陸の関係、この捕らえ方、この考え方、これが一番市場経済と市民経済のことを考えるときは、考えやすいたとえになると私には思えます。




  まあとにかく、全体としていえるのは、今の状況においては経済を考える場合、経済の単一化というものは無く、実体経済と虚構的経済の二層性に注目をする必要があり、単純に経済がどうだこうだという話は成立しない、その上でその二層を見るときは、虚構性の高い市場経済と、実態にある市民経済に対しては、市場経済を海、市民経済を陸と考えてみるとわかりやすいように思え、その海と陸の関係と、その関係上における人間の存続方法、単純に海を認めれば全体が水没し、人類は滅亡する、だからといって海を認めないのもうまみがない、



  つまり、海は恐ろしい、しかし利用しがいのあるものでもある、これが人類と海との関係でしたが、同じようなことが市場経済に対しても言える、市場経済は恐ろしい、しかし利用しがいがある、 この点から考え、市場経済の意味と利用方法の吟味等を考えてみたらどうだろうか、市場経済を単純に肯定はできないが、利用方法を考えれば何とかなるかもしれない、また、市民の生活にかかわるところには市場経済に対して防波堤のようなものをおく必要がある、市場経済とは生産も消費もしない虚構の経済の部分が強いので、生産消費的概念の市民経済とは相容れず、そういう経済をつぶしてしまう恐れが強い、だから市場経済を利用しつつ排除すること、このあたりでうまい仕組みを作ったら、結構うまく行く可能性もあるのではないでしょうか。
  


 


    経済は人を救わない、


 


    
  さてそれで二つ目として、上の話とも関連しますが、経済の虚構性というものが今の地球上においては多数を占め、どちらかといえば今の経済というものは虚構性の強い経済になっており、そういう経済との付き合い方、かかわり方、考え方というものを考えてみたので書いてみようかと。



  虚構化する経済、今の地球上の経済は実態の数倍の虚構部があるわけですから、経済=虚構と考えても今の経済状況に対しては、それほど間違ってはいないと思います、何でこうなったのかというのはわからないのですけど、多分世界中の国とかが債権とか紙幣というものをすりすぎたのでしょう、多分最大の原因はアメリカでしょうが、まあとにかく今の状態では経済というものは虚構的性質が強く、実態として意味を持つこと、人の役に立つことは少なく、経済や金融の数値的上下においての駒、もしくはファクター(要素)としての意味が強く、目で見ることはできますが誰も触れれない、幽霊に近いものになりつつあるようです。



  たとえば今の日本でも、景気がいいとはいいますがそれを感じている人は殆どいないでしょう、ゼロとはいいませんがまあそれは誤差の範囲内のことで、全体として言えば景気がいいとはいえないと思います、しかし数値的にはいいのですね、これが経済の虚構性、上の表現で言えば経済の幽霊化とでも申しましょうか、ゴースト経済といいますか、うわさには聞く好景気、うわさには聞く幽霊話、実際のことは誰も知らないのですけど、うわさには聞くんですよね、経済というものを、見ることはまずありませんが。



  そして幽霊のような性質を持った経済というものは、権力者、経営者等には取り憑き、彼らと一体化して、狂ったようなポルターガイスト現象を起こすわけです、常識であれば考えれないこと、できないことをこういう幽霊に取り憑かれたあっちに行ってしまった人々は、気が狂ったように世の中を動かそうとするのです、傍から見れば明らかに狂気なのですが、当事者はいたってまともだと錯覚し、いつの間にか権力者どもは狂気比べをするがごとく、自分がいかに狂っているかということを、なぜだか知らないが誇示し始めるわけです。



  まあとにかく、今の経済というものは、虚構的であり一つ目の文章でも書きましたが、実体として人の生きない、生きれない世界を目指す、もしくは主体としようとする、一種のあの世のようなものを目指すものでもあり、その経済に取り憑かれた権力者どもは多くの人々を、その一種のあの世へと誘おうとするのです。 ですから今の状態においては、経済の虚構性というものに気をつけ、そういう虚構経済に取り憑かれあっちへいってしまった人々は放っておいて、実体として人間が生きるうえで必要な経済を掘り起こして、自らの生存の方法というものを模索したほうがいいのではないかと思います。


 



 



    それでは、今は週二回ですので、次回は木曜日になります、では次回まで。


 


 


 


 

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