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非生産消費者の必要性、

    どうもこんにちは



  そういえば最近安部とかいうアホな政治家が、外交的に孤立して路頭に迷っているようですね、慰安婦問題をアメリカから指摘されたことが原因だと聞いていますが、私の見た感じだと多分この問題の黒幕は北朝鮮のような気がします、 私は北朝鮮とアメリカは密接に手を組んで北東アジアを混乱させようという協力関係をもっているように思えるので、そもそもの原因は多分北朝鮮が日本に拉致のことを言わせないようにさせようとして、そのためにわざわざ送金がもたついたように見せて、その結果日本の軍事化を進めるという形で日本をアメリカに売って、その見返りとしてアメリカに慰安婦問題とつついてもらって、その慰安婦問題と拉致問題の二重性によって、日本の動きつぶそうとしていたようにみえます。



  アメリカとしては日本はつぶれてしまったほうがありがたい国なので、日本の孤立化は歓迎すべきことですから、日本の軍事化が進むことには感謝をするでしょう、ここで安部というアホな政治家が憲法改正でもして軍事化をすれば、日本の孤立化は完全な形になり、日本の奴隷化は完成するでしょう。 アメリカは北朝鮮を使って何かができないかと考えているので、北朝鮮と関わるのはアメリカの罠にはまるのと同じ事と言って良く、本来ならば日本は北朝鮮問題には手を出してはいけないのだが、アメリカに買収されているとしか思えない今の政府与党では、北朝鮮だ何だと手を出してしまうのでしょう、自分が助かれば国民などどうでもいい連中ですから、まあ困ったものですね。




  さて、それはいいとして今日は、非生産消費者の必要性、ということでも、少し前に思ったのですが、今経済が良いといわれていますが、その良くなった要素として生産性の向上が経済をよくしたのだということをいっている人がいて、しかし、考えてみれば分かりますが、生産性の向上ということは昔からやってきていることであり、そしてそれが効果がなくなってしまったことが失われた十年といわれている時代であって、それが急に今になって生産性の向上でうまくいったというのは無理があるように思えます。 そしてそのあたりを考えてみると、今の経済が良いのは生産性の消耗、そして破壊による一時的利益であり、生産性の向上による全体の改善ではないように見えます。 


  しかしならば、今のような状況において、何が問題であり何が対処となるのか?、そういうことを考えたときに思いついたのが、非生産消費者というものが何かのキーワードになっているのではないかと思ったので、書いてみようかと。




  それで非生産消費者の必要性ということで、あんまり好きな言葉ではないのですが、ニートという言葉があって,非生産的だが消費をしていく人達という意味のようで、そういう人達がたくさん生まれつつあるらしいですが、その原因は色々と議論あるらしいですけど、私が感じたのが何らかの社会的必要性が彼らを生んだのではないかということ、つまり非生産で消費だけをする層というものが実はこの国には必要であって、その必要性を彼らに押し付けているのではないか?、そんなことを思ったのです。



  例えば日本には1千兆もの借金があります、その原因としてあるのが大規模公共事業で、そしてその公共事業はどうしても必要だとよく言われていたわけですね、しかしそれって変じゃないですか?、何で千兆もの借金をしてまで公共事業をせねばならないのか おかしいですよね?。 そしてその原因として私が思いついたのが、実は生産性の向上が公共事業の原因なのではないかと思ったのです。 生産性の向上というものは誰が考えても分かりますが、いずれは過剰生産を生み、過剰生産はいずれ経済を破壊するわけです、 戦後という時代はいかにして生産性を上げるかということばかりを考えていた時代であって、そういう時代が莫大な借金を後期において生んだというのは私には無関係だとは思えないのです、



  私の考えだと戦後の生産性向上神話が、知らず知らずと過剰生産を生んでいて、しかし多くの人が生産性の向上神話を信じていたがゆえ、それをとめる方法が無かったのではないか、現に今でも生産性の向上が状況をよくしたのだといっているくらいだから、その奇妙な神話は何らかの歪みを現実的に生んでいたのは間違いがないだろう。 そして、その生産性神話はたぶんですが、その過剰生産という負の面を隠すために、「過剰消費といかにして生むか」 という問題を生んでいたのではないでしょうか、つまり過剰生産に見合った過剰消費を社会に要求していたのではないでしょうか。



  そしてその結果が1千兆にも及ぶ借金であって、過剰生産とぶつからないように非生産的な消費を社会に強要していたのではないでしょうか、この点から見るとバブルやその後の大規模公共事業というものの意味も分かる、つまり過剰生産に見合った過剰消費というものが最大化したのがバブルであり、そして、過剰生産を埋める過剰消費がその過剰さゆえに崩壊して、その後その消費の急激な低下を抑えるために、莫大な公共事業をしたと、しかし過剰消費によって消費のメカニズムか崩壊し、そしてまだ生産性の向上神話は生きていて、そんな状態でも生産性の向上を目指し、結果として絶対に消費が追いつかないほどの生産性をこの国は持ってしまったのではないか、それが全体の構造の崩れのように見えます。



  それが今の状況ではどんな意味を持っているのか見てみると、生産性の向上神話は相変わらず残っており、生産性の向上は病的なレベルまで達しっており、今では生産性のためだけに人間が生きているような、非消費生産者の増大による生産性の向上という、労働者の奴隷化による生産性の向上までするようになっています、そしてその反動によって、ニートとよばれる非生産消費者を多く生んでいるわけですね、つまり生産をしてはまったくいけないような層を無理やり作っているわけです、戦後という生産性神話は。



  だから私としてはまず今の状態でするべきことは、生産性の向上というものを問題視すべきではないかと思うのです、つまり生産性があがればその分過剰生産の恐れが常にあるわけで、単純に生産性の向上がいいとはいえない、それは前回書きましたが経済には限界のようなものがあるので、その限界を見つつ、経済の限界と生産性の向上がぶつかり合っていないかということを考えなければいけない、あくまで生産といっても経済という範囲内での行為であり、経済の範囲と超えるような生産というものはできない、だから生産性というものはどの程度までならもっていいのかということを吟味する必要がある。



  しかしだからといって生産性を下げるというのもあまり面白くもないでしょう、それでは全体の停滞を招く恐れがありますからね、だから生産性の向上という神話に疑問を持つというのは正しい判断だと思うのですが、同時に単純に生産性の批判をするというのもまた、あまりいい判断ではないかもしれません、ですので第三の手のようなものも考えてみたらどうかなと思っているのですが、それは次回にでも書こうかと思っています。


 


 


    それでは今は週二回ですので、次回は木曜日になります、では次回まで。


 


 


 


 

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