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まちがいの正当性、

    どうもこんにちは


  そういえば六カ国協議は終わったようですね、内容としては米中露三カ国のせめぎあいによって、まあ結局は手打ちのような感じで終わったようです、中国ロシアとしては北朝鮮に問題が起こると地理的に問題が起こるので、それを避け、アメリカはそのあたりで難癖をつけて北東アジアの混乱と、どっかから金を巻き上げようとし(まあようは日本のことですけど)、そして北朝鮮はそのあたりを利用して、自分の立場を使って、周辺国に揺さぶりをかけ国益を増したというところでしょうか、

  日本については、歴史的な間抜け外交によって、日本の政治家がやはり馬鹿だったということが世界中に再確認されてしまって、大恥をかいてしまいましたが、まあこれで自民党がくだばるのなら、トータルでいえば国益になっているのかもしれません。



  さて、それはいいとして今日は、まちがいの正当性、ということでも、少し前に本を読んだのですけど、その本の主人公が、その主人公のいる世界の中では間違っていることばかりをしていて、しかしその間違いがその世界の発展や進歩につながっていくという内容の話だったのですが。 その本を読んでいて思ったのが、間違いというものは本当に間違いなのか?、もしかすると間違い、間違うというものにも正当性というものがあるのではないかなと思ったので、書いてみようかと。


  それでまちがいの正当性ということで、私の若いころはマスコミがうるさくて、何が正しい、何が悪いとか、そういうことを散々言われていましたが、私は生まれつき勘が鋭く、洞察力があるので私はそれを無視していました、結果そういうマスコミを信じた人々は異常な状況に叩き込まれたようですが、私は何とか避けれたように思います。 まあそういう経験もあってなんですけど、私は間違いというものは基本的にはっきりしないものだなという感覚があります、何が間違いかというものは明確にならないものだなと。



  そしてそこで思いついたのが間違いには正当性というものがあるな、という風な考え方で、なんというか、本当の正当性というものはどこか間違いという意味を含んでいないとだめなのではないかと思えたのです。 たとえば何かが正しいと言ったとしましょう、それを単純に認めてしまえば、それはそれほどは正しくはないでしょう、なぜならそれが間違っているか考えていないからです、また、何か間違いがあったとして、それを単純に認めてしまえば、それもまた正しくはないでしょう、なぜならそれが本当に間違っているのか考えてないからです。


  そしてこの考え方は、ようは理系の考え方にすぎないのでそうたいしたものでもないのですけど、まあその考え方は今のような時代には必要なのではないかと思うのですね、たとえば今の時代は何らかの正当性をプロパガンダ的に宣伝することは良くあるわけですよ、正当性をごり押しするような手段が横行しているわけですから、そういう状況では単純に物事の正当性を信じてしまうということは、かなり危険になってきていると思います。 



  そうなってくると、単純な正当性というものは信じることはできないといっていいので、ならばどうするべきかというと、まず何らかの正当性というものが表れたら、その正統性が間違いでないかと考える、そしてどの程度までそれの間違いというものが考えれるのかと考える、つまりその正当性というものが、どの程度まで自分の立場において間違いだと考えれるのかと考える、まあようはまず疑ってみて、その上でどのくらいまでその正当性が疑れたのかという程度を測ってみる、そして浅くしか疑れないのならばその正統性の信憑性は低いと考える、具体的に考えれないことはどんなに正しくても信じないほうがいい、とまあそんなことをしたらどうかと思うのですが。


  そしてそういう意味においての正当性というものを、私はまちがいの正当性というような言葉でよんでみているのですが、つまり、何が間違っているか、何が正しいかということに対し、単純に信じるのではなく、その間違っている、正しいという情報に対し、自分がどの程度まで批判できるかということ、人が批判できるかではなく、自分が批判できるかということ、その程度が浅ければまちがいの正当性としては不可であり、もし、深くまで分かるのならばそれは自分にとって意味がある余地が多いといえるのではないかと思えます。



  まあそれで、全体としてまちがいの正当性というのは、ただ情報を得たり、ただ何らかの正当性を信じたりするというのでは、今のような時代では上手くいかないのではないかということと、もうひとつが、真実に近づく努力のようなものをしたほうがいいということ、何かが正しいということや、何かが間違っているということを疑ることによって、物事の本質を見出すということが今のような時代では必要だと思うので、単純に表層にあるものだけを追っても、多分今のような時代では何もできないと思うので、そういう本質を見出す努力というものもしてみるのもいいと思います。


  その点たぶん、戦後という時代が上手く行ったのは、戦争が終わって何もなくなって、何も信じず、何もを疑ったことが、日本人を真実へと導き、そしてそれが非常に大きな意味をもったのではないかと思うので、今の状況を好転させたければ、昔のように何が本当に正しいのかという事をどこまでも疑っていくような視点、まちがいの正統性のような考え方をもってみるのもいいかなと考えたので、ちょっと書いてみたのですが。





    それでは今は週一回ですので、次回は来週の水曜になります、では次回まで。
  







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