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    どうもこんにちは




  最近は肝炎の薬害の問題が大きな話題になっているようで、自民党の福田という人物が患者と会談をして、全員の救済を議員立法でするといったらしいが、う?ん、どうもおかしいですね、


 
  何がおかしいかというとまず、自民党は今年の11月に肝炎の救済法案を出している、なぜ別の法案を出す必要があるのか?、この法案を修正すればいいのではないか?、民主党は別に他の法案を出してはいない、なぜいちいち議員立法で別の法案を出すのか理解できない、


  まあそれについてはその政府与党案を修正すると色々利害が難しいから、別に議員立法で出したという考え方もあるが、それ以外の問題点としても、今回面談した人たちだけを救済するということになると、また問題が起こる、



  今のマスコミでは全面救済という文字が躍っているが、しかしそれはどうやら違うようで、今訴えている人々は200人くらい、そしてその人たちの全面的な訴えを受け入れたとしても、助けれるのは総数で言えば1万人くらいにしかならないらしい、


  そもそも肝炎の患者は350万人はいるといわれており、その多くが政府の怠慢が問題らしく、そしてその350万人のうち60万人が慢性の状態で、この人たちには高額な治療が必要なようです、



  そうなってくると、議員立法で救ったとしても最大で1万人だけで、これでは肝炎の救済にはなるまい、肝炎にかかるのは見たところだと、歯医者の治療や子供のころの集団の予防接種でも感染する可能性があったらしく、もしそれが原因だったら感染した問題の特定はできないわけだから、肝炎にかかっている人々全体の救済をしない限り、全面解決にはなるまい。



  つまり肝炎の全体的な問題解決が必要であり、これは国民全体の問題であるのだから、国家制度的に肝炎対策をしなければならないわけで、議員立法をすれば全面解決というのはおかしかろう、


  たとえばこの問題を訴えている方々のホームページを見ると、上でも書きましたが肝炎の慢性的な病気の人は60万人くらいで、その一人当たりつき年80万円くらいの治療費がかかるらしく、そうなると年で大体4800億の費用がかかる、これが一万人だと80億ですむが、これで問題解決になったら残りの人はどうするのだろうか、




  なんというかな今回の政府の動きは、一部しか助けない対処法で、問題はもう解決しましたよと言おうとしているように見える、もしくは逆に一部の人を助けてそれ以外を助けないようにも見える、


  私も専門家ではないので、何か間違っているのかもしれないけど、しかし首相の政治決断で、5000億近い予算を決めれるとは思えないので、やはり政府の予定しているのは1万人弱の数十億の予算のレベルなんじゃないかな、だから全体は救わないのではないだろうか、



  そもそも肝炎問題を本格的に対処するためには、なんといっても予算が大きいから、軍事関係の削減がどうしても必要になってくる、 そうなってくるとミサイル防衛計画や、グアムの基地移転費用や、米軍に対する思いやり予算等を削らなければならない、それを削らないと予算の確保はできないだろう。


  だから肝炎問題は小さなようで、この国のあり方や方向性を根本的に変えないといけない話であって、この国を根本的に変えない限り対処できない問題なのではないだろうか、
  


  それを首相の政治決断と議員立法でどうにかするというが、そんな簡単にできる話か、どうも嘘くさいのだが、アメリカの言いなりでしかない自民党が、軍事利権しか考えてない自民党が、アメリカの関係を弱らせて軍事関係を弱体化させつつ、社会保障関係に予算をずらす、そういうことをするとは到底思えないのだが、、、まあひとまず救えるのならばそれはそれでいいのですが、この肝炎問題を抜本的に対処するには、自民党では無理だとしか思えないで、いつかぼろがでるのではないだろうかと思います。


 


    



  さて、それで今日はおまけになってしまってますけど、わからないということ、ということでも書いてみようかと、なんだか変なタイトルですが、私がいつも思うのは物事というのはわかるということも大事だけど、わからないと考えれることも大事なのではないかと思うのですね、 例えばわからなければ能動的に動いてわかろうとするわけで、わからないと強く思ったり考えたりすることって、結構重要なことなのではないかなと思います。
    
  なのでそんなことを書いてみようと思うのですが。



  それでわからないということという話で、今の世の中色々見てて思うのですけど、とにかく知識の羅列なんですよね、本見ても知識やデータを並べて書く書き方が主流で、私は分かって書いてますよ?、みたいなアピールなんだろうけど、まあそういう分かっている、知っているということを前面に出すような考え方、見方というものが今の日本においては主流なわけです。



  しかし冷静に見てみれば分かるように、人間がいくら知ろうともそれ以上の情報は常にあるわけで、情報知ってますよ??っとアピールしてもそれはそう見えるだけであって、実際そんなに物事を知れるわけじゃないんだから、ほんとは違うのでしょう。



  だとするとどうした方がいいのか、そういう知ってますよ??的なやり方では本質的にはずれてしまうことが多いのだから、そういう考え方は商売としてはよくても、実際やると問題になるわけだから、本当に何かを考えるときややるときはそういうやり方ではだめでしょう、 そうなると、その逆である分からないという考え方のほうが本質的な問題を突けるのではないかと思います。



  例えば何か情報を見たとき、その情報では何が分からないか、そしてその情報を見ると何が分からなくなるか、そういう分からないという視点で考えていったほうが結果としてはよくわかるような気がします。



  不思議な話で情報過多の時代のせいか、情報を知ることが物事を知ることと直接リンクしない世の中に今はなってしまっていて、おのおのが独自に情報解析をしないと何もわからないような、奇妙なところに今の日本人はいると思います、


  だからそうなってくると、情報把握より情報否定のスキルのほうが実用性を持つようになってきていて、たぶん今の時代では情報を集める能力があるだけでは何もできなくなってきているように思います。



  ここら辺はどうしてなのかと思うのだけど、世の中っていうのはバランスを取るようにできていて、情報が多くなれば情報を否定するようなことが正しくなるような、そういう人間には見えない何か仕組みがあるのかもしれませんが、ちょっと分からないですね。



  まあとにかくわからないということとは、情報否定の時代が来ているということなのかな、情報をいかに否定するかという、今までの常識の逆を行くような流れが今の時代に起きていて、情報を得ることの価値がどんどん低下していって、これからは情報をいかに否定して、どれだけ減らせるかということが問われてきているような気がします、


  
  もちろんただ否定するのではなくて、否定した上で価値を持つことが重要視されているわけですが、ただまあ今までみたいな単純な情報万能説的なものは、明確に否定されていると思います。



  ただしこうなってくるとさらに難しくなってきますよね、今までだって大変だったのにさらにまた来ますかね、なんだか人類というものはどんどんどんどん難しく生きるようになっていって、なんとなくこういう風に生きていくことで大丈夫なのかという思いもあるのですけど、実態がそうなってきていますから、今の世の中では分からないということを軸に考えて、全体像を探っていくしかないようなそんな気はするのですけど。


 


 



    それでは今年も終わって、来年、といっても来週ですが、来週も国会が延長しているので、しかたがないので私も書こうと思います、ですので次回は来週の火曜になります、ではよいお年を。


 


 


 



 

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